<親日を望むモンゴル人たち>
一般の日本人は『モンゴル国』に対して、「蒙古斑」「チンギスハーン・大モンゴル帝国」「大草原」「モンゴル出身の相撲取り」等々しかイメージを抱いていない。この国の歴史を垣間見れば、島国で育ってきた日本民族にとって想像を絶する事実ばかりである。同じ民族同士の殺戮のうえに、他国民族から侵略された連続の過酷な体験が無数にあることを知るにつけても、このモンゴル民族の鍛えられた潜在戦闘能力には感服する。
その崇高な民族魂を遺伝子として継承しているモンゴル人が、『親日関係を築きたい』と言っているのである。すぐに歴史のおさらいをする。歴史的に日本がモンゴルを侵略した悪行もないし、また民族のプライドを蹂躙したことがない。だからこそモンゴル人から親近感を抱かれているのであろう。先だって、安倍首相はエネルギー資源狙いでモンゴルを訪問した。現地では、『行動力のある奴』と高い評価を得ているとか。
<まずは歴史のおさらい・日本人では驚愕する歴史の事実>
1206年にチンギスハーンが大モンゴル帝国を樹立するまでは、大草原で部族の生死を賭けた戦いに明け暮れていた。160年続いた大モンゴル帝国は、1368年に明によって征服された。モンゴル民族の内ゲバに乗じられたのである。その結果、オイラート・モンゴル(現在のカザフスタン・中央アジア)、ハルハ・モンゴル(現在のモンゴル)、内モンゴルの3カ所に分かれた。清の中期にオイラート・モンゴルがハルハ・モンゴル、内モンゴルを制圧する勢いを見せた。清の力を借りて放逐した。オイラートモンゴルは勢いを失くした。1600年~1700年代でも、モンゴルでは内ゲバを展開していたのだ。
近代となり、激動が走る。ロシア帝国の庇護の下、現在のモンゴルが内蒙古を制圧する。ロシア帝国が干渉して手を引かされる。ロシア国内で革命戦争が生じる激動時機に、孫文中華民国につけ込まれて内モンゴル・モンゴルとも属国化される(自治権は認められるが)。
モンゴルの民族者たちは独立に立ちあがる。ソ連赤軍の力の後押しで1921年、モンゴル人民共和国を設立する。2番目の社会主義の国家誕生だ。
スターリンの傀儡政権と陰口を叩かれながらも、1990年に『モンゴル国』に転ずるまでの70年間は平穏な時代であっただろう(民族抗争が減ったという意味だ。実際は激動の世界の動きに左右されていた)。承知の通り、ソ連自身が連邦を殴り捨てた。その世界史的政治激変を見通しを立てて、選挙による民主的政治体制に移行した。国名『モンゴル国』として、資本主義経済体制を導入した。おさらいはこれだけにしておこう。
ここから何を学ぶか!!(1)中国・漢民族に対しては、油断すると「いつ何時、侵略されるかわからない」という警戒心を持っている。ジレンマもある。低賃金で働く中国人労働者を活用しないと、モンゴル国内のプロジェクトは進まないということだ(モンゴル人の本音を紹介しよう!!『中国はモンゴルが怖いそうだ』。大蒙古の侵略によるトラウマか。モンゴル人自身は、中国人を馬鹿にしているそうだ。『中国人は人間と獣の間』と思っているとか。世界中どこでも、隣国のことを罵倒するのはよくある話である)。
(2)ソ連時代には、とくにスターリン時代には、独立国の面子を潰されていた期間はある。しかし、ロシアには心を許す関係にあるのだ。この点には奇異な感じもするのだが、ロシアとの人的・経済的交流は半端ではない。ソ連・ロシア経由でヨーロッパ情報が入ってくるのには驚く。この面では博識である。
(3)かつてのソ連・中国という大国の狭間で生きるもの同士の北朝鮮とは、兄弟関係にある。
この3点を確認したうえで、日本は布石を打つことが肝要だ。
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