12月10日夕方、東京都江東区内のホテルで「柿沢未途を励ます会2013」が開かれた。地元の有権者ら約1,200名が参加した。まずはホテルの屋上(21階)から東京の夜景を案内した柿沢氏が、あっという間に1階の会場に現れるというしかけに、熱烈な支援者から大きな歓声が飛んでいた。
8月下旬に渡辺喜美氏から突然離党するように言い渡された柿沢氏だが、この日は元気いっぱいの様子で有権者に熱っぽく語りかけていた。参加者の多くは亡父・功治氏の時代からの支援者たちだ。自らを亡き父を重ねる柿沢氏のスピーチに、会場は聞き入っていた。3カ月余り前に負ったその傷は、すっかり癒えたように見えた。
「2012年のパーティーは柿沢夫妻の結婚披露宴を兼ねて企画していたら、たまたま衆院選の公示日に当たってしまった。今年も半年前から準備していたが、まさかこんなタイミングでパーティーを開くことになるとは思わなかった」
柿沢氏の後援会長が挨拶で、想定外の奇妙なめぐり合わせについて述べた。そしてさらにもうひとつ、準備段階に想定外だったことがある。実は当初に予定されていたパーティーの主賓は、渡辺喜美氏だったのだ。
「柿沢氏のたっての願いで渡辺氏に決まった。2011年7月の後援会総会や2012年10月の後援会総会など、ことあるごとに渡辺氏には主賓として挨拶してもらっていた。もともと柿沢氏は渡辺氏を父のように慕い尊敬していたため、それはそれはとても楽しみにしていた。そしてまさに『パーティーに来て挨拶をして下さい』と柿沢氏が申し込もうとした頃、渡辺氏は柿沢氏の首を切った。柿沢氏にとってはひどいショックだった」(柿沢氏の地元関係者)
渡辺氏の代わりに挨拶に立ったのは、前日にみんなの党を離党したばかりの江田憲司氏だった。江田氏と柿沢氏はともに8月7日の両院議員総会で、渡辺氏からそれぞれ幹事長職と政調会長代理職を外されている。総会が終わってすぐに真っ青な顔をして会場を出たのが柿沢氏で、その後で口元に複雑な微笑みを浮かべて出てきたのが江田氏だった。
ともに東京大学の卒業生でありながら、その時まではさほど深い付き合いがあったとは思えない2人だったが、これを機に関係を深めていく。そして12月10日午後、江田氏は民主党の細野豪志氏や日本維新の会の松野頼久氏とともに「既得権益を打破する会」(以下、「打破する会」)を立ち上げたが、江田氏は柿沢氏を同会の事務局長に任命している。これで柿沢氏は名実ともに江田氏の右腕になったといえる。
「敵の敵は味方」という言葉がある。これが正しければ、9日にみんなの党を離党した14名と柿沢氏は一蓮托生になって当然ということだが、実際はどうだろうか。
柿沢氏のパーティーに集まった離党者は江田氏の他、小野次郎氏、柴田巧氏、川田龍平氏、青柳陽一郎氏、椎名毅氏、そして井坂信彦氏の面々。離党者全体の半分にすぎない。離党した翌日に全員がそろわなかったのは、結束を示すせっかくのチャンスをみすみす逃したといえるだろう。
実はその足並みの乱れは、その直前に開かれた「新党準備委員会」でも垣間見ることができる。同委員会は同日午後3時から、綱領や政策、そして党名を決めるために議員会館内で開かれた。ところが同委員会はたっぷり2時間審議しながら、成果はゼロだった模様。会議室から出てきた青柳氏は記者に取り囲まれ、「僕は話せる立場じゃない」と述べた。トップの江田氏ですら、「今回はフリーディスカッションだけだから」とお茶を濁している。
最も純粋に「江田さんの主張が正しいから付いていく」と言っている井坂氏など少数派を除けば、今回の離党者の大半は江田氏に従ったというより、渡辺氏に愛想がついたから離党したと言った方が適切だ。
たとえば日テレの元ニュースキャスターの真山勇一氏がこれに当てはまるといえるだろう。真山氏は江田氏に薦められて参院選に出馬したという経緯があるが、江田氏にべったりということはなかった。ところが渡辺氏は真山氏を「江田シンパ」とみなし、11月27日の特定秘密保護法案に関する代表質問で真山氏が安倍晋三首相を追及したことを激怒。すぐに真山氏を呼びだして厳しく叱責したため、それにショックを受けた真山氏は翌日の議員総会を欠席したと言われている。
また、426億もの負債をかかえて倒産した福助を建て直した藤巻幸夫氏は、けっして江田氏に近いということはなかった。彼はむしろ渡辺氏が寵愛する松田公太氏と仲が悪かった。松田氏が投げる挑戦的な言葉に、明るく開放的な性格の藤巻氏も眉をひそめることが多かったという。そこから反渡辺になっていったとしても、それは自然の推移だろう。
江田氏にリーダーシップや求心力があるわけではなく、14名の心がひとつというのも難しいというのが現実だ。
また江田氏が政界再編の足がかりにしようとしている「打破する会」も、みんなの党、民主党、日本維新の会から52名の議員が参加したにもかかわらず、同床異夢状態だ。というのも、江田氏は新党結成を明言するが、細野氏は民主党を離党する意思はなく、あくまで「勉強会」と位置づけている。細野氏は柿沢氏のパーティーには姿を現さず、代わりに民主党から長島昭久氏と柚木道義氏の2名が出席した。
「細野氏は新党結成より、民主党をたて直したいと思っている。所属政党をころころ変えたくないのだろう」(民主党関係者)。
新党結成は口で言うほどたやすいものではない。
一方、すっかり「悪役」になってしまった渡辺氏側も、巻き返しを狙っている。
さっそく離党届を出した14名の処分を検討し、倫理委員会にかけることを決めた。これには柿沢氏の離党を「自発的なもの」として党内手続きをはしょったことで、後々に禍根を残すことになった反省がある。これ以上の離党者を出さないためにも、恣意的な運用が疑われる「人治政治」は絶対にしてはならないからだ。
地方議員のメンテナンスも重要だ。今回の騒動では、特に東京で、国会議員より先に地方議員の離党が相次いだ。もともと7月の参院選をきっかけに、都政は渡辺派と江田派に分かれていた。
「これから渡辺側と江田側のみんなの党の地方議員の争奪戦が始まる」。関係者はこう述べる。
「自民党もイヤ、民主党もイヤという保守票を、みんなの党は吸収してきた。地方によっては、公明党の票数以上を獲得したところもある。公明党に代わって第三極になれば、キャスティングボートを握ることもできる。ところが分裂してしまっては、それすら不可能になってしまう」
実際に、すでに地方議員の争奪戦が始まりつつあるという。10日に緊急に開いた両議院総会で渡辺氏はこう述べている。
「地方議員、地方組織についてのコミュニケーションが十分であったとはいえないと思う。したがって、これからは党幹部が積極的に地方に出向いてコミュニケーションを図っていく、そういう体制を整えたいと思う」
今回の離党者に対して、自らを「自民党渡辺派」と称したと言われる渡辺氏。以前には離党を引き留めるために、資金をばらまいたとの噂もあった。資金力が乏しい地方議員には、これはもっと効果的だろう。実は渡辺氏は政治家としては江田氏よりも数倍はしたたかだ。これからどんな手を使おうとするのか。まだまだ勝負はついていない。
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