<寄る年波にうなだれる>
ここ数年、取引先の幹部社員の方と会食の度にプチショックを受けることがちょくちょくある。会食前に「この部長さんももう50代半ばは過ぎよ~ね~」とイメージして会食に臨むと、「山笠さん、ついに私も昨年50になりましてねぇ・・・」なんて言われてしまい、「うっそ~俺より年下ぁ~?と唖然。てことは、えーと、俺が高校3年のときに高1?マジかい!」と心の中で絶叫してしまう。
そんなわけで、気が付けば自らがすっかり正真正銘なオヤジど真ん中の年齢になっている現実を思いっきり実感させられる日々なのだ・・・。心の奥底にある「まだまだ俺だって若いぜぃッ!」という気分は、40歳的に現実を受け入れたくないという抵抗のマインドをも崩壊させてしまうのだ(特に若いおね~ちゃんを前にして・・・汗)。
さらに追い打ちをかけるが如く、その部長さんは「いやぁ~そんな気はないのに『セクハラ~』なんて言われかねない年齢に差しかかりましたですねぇ。山笠さん、お互い気を付けないとですねェ」などと言われた。こうして寄る年波に枯れてゆく中高年は急速にうなだれていくのであろうか(脂汗)。
<〇×会ゴルフコンペ>
小生は先ごろ、幹部社員OB有志らによる親睦ゴルフコンペに参加することになった。6組ほどのこじんまりしたコンペなのだが、なんせ80歳と77歳の元社長経験者が2人もいるものだから、「お世話係」は現役秘書室長。そんなわけで各組に1人現役の常務~部長クラスが同伴し、お世話しなくてはならないという何ともはた迷惑なコンペなのである。
今春、久々に本社へ戻った小生は、いきなり秘書室長の中居クンから「山笠さん例の○×会参加、頼みますよっ! 健さんと同じ組でお願いします」と持ち出され、「何よ、その○×会って?」と聞きなおした。
「も~人が悪いなぁ山笠さん。とぼけないで下さいよ、お願いですよ・・・」この健さんこそ通称「山健」と呼ばれ、現役時代は泣く子も黙る山下健之助元専務なのだ。その頭の回転の速さと品の無いトークで徹底的に部下を叩きのめす怒り方は、ゴッツイ容姿とダミ声からして当時の課長連中を「おかぁちゃーん、怖いよぉ~」と恐怖のどん底に陥れた。出社恐怖症にさせられた被害者は数知れず。昭和時代にありがちな、今なら完璧に「パワハラ」でアウト的な営業本部長だった。小生は運悪く? 延べ5年も「山健」部隊の一兵卒として仕え、当時どういうわけか、「山健対策は山笠に聞け」などと一部の中間管理職の間で言われていた。まだ30代だった小生は「迷惑な話しばい」と困惑のきわみ。
そんな「大物」なだけに「あいつと同じ組は勘弁・・・」と、毎回幹事は組合せに苦慮していた。もともと役員経験者揃いの「大物達」=「我がままな連中」だ。それなりにめんどくさいコンペであることには違いなかった。んなわけで、数人の要注意OBについて、組合せは毎回固定化しつつあった。当然ながら、秘書室長は現役社員のお世話役選定にも毎回苦労していたのだが、そんな雰囲気を察してか、先に手を打つところも山健さんの真骨頂だ。中居クンに対し、「中居さぁ、山笠が本社に戻って来たんだろ・・・」とさりげなく、「山笠でいいよ」と刷り込ませたのだ。
「やれやれ、現役時代と変わらんばい」そんなこんなで外堀を埋められてしまった小生は、「現役時代は泣く子も黙る山健でも、今や71歳にもなる普通のご隠居さんだ、現役の頃のような事はなかろ~」と、自らを慰めつつ参加することになった。こんな時、どこの会社にも余計な情報をささやく輩がいて、「山笠さん、確かに山健さんはお年を召して大人しくなったようだけれども、プレー中は相変わらずみたいよ」だと。
| (後) ≫
<プロフィール>
山笠太郎(やまがさ たろう)
1960年生まれ。三無主義全盛の中、怠惰な学生生活を5年過ごした後、大手食品メーカーにもぐり込む。社内では、山笠ワールドと言われる独特の営業感で今日に至る。博多山笠は日本一の祭りであると信じて疑わない。
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