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コダマの核心

企業・人、再生シリーズ(34)~ノンオーナー社長の長期政権の弊害、ハヤカワコーポレーション(3)
コダマの核心
2013年12月29日 07:00

 前回で登場した同業オーナー経営者はオーナーだからこその苦労を重さの本音を披露する。この会社も昔、番頭たちの我儘放題の振る舞いに心痛した過去がある。ハヤカワコーポレーションが仮に資金繰りに追われていたら松尾氏は19年も社長の椅子に執着することはなかったであろう。責任回避でとっくの昔に逃亡していたはずだ。同社は切羽詰まった経営状態ではなかった。社長というポストは資金繰りに悩むことから解放されるのであれば居心地の良いのである。ズルズルと19年も居座ってしまった。後述するが、人間は変節するものなのだ。 

<早川市郎会長の体調不良が命取り>
b_21.jpg 1994年松尾氏が社長に就いた時のインタビューが印象に残っている。当時、同社内でゴタゴタが続いていた。悪辣幹部が社内を掻き回していたのだ。全社で「本社の者はは地方の出先の苦労がわかっていない」という批判の渦が高まってきた。その流れのなかで熊本支店長を永く務めた松尾氏が社長に抜擢された。「松尾氏は社員の気持ちを汲み取ってくれる期待の星」と見込まれての就任だったのである。
 取材へのコメントは下記の通りだ。
 「熊本という地方から本社を眺めると支店・営業所の社員たちの苦労にまるで関心がないことが、よーくわかった。だから私の社長としての使命は社員全員がやる気を起こす企業風土造りに専念することだ」との抱負を語ったのである。これには感動した。しかし、社長というポストに永く座ると変質するのである。所信忘れる。我が都合のなすままの経営にのめり込んでいった。
 そして結果は、松尾偽造オーナー経営の弊害が糾弾されて代表取締役社長を退任させられる羽目となったのである。実質的には解任されたと言って過言ではない処理だ。どうしてこうなったのか?事の拗れの絡みの始まりはオーナー役の早川市郎氏が代表取締役社長に就任しなかったことからである。同氏に社長のポストに未練がなかったというのではない。真相は社長職を全うする健康体でなかったということである。
 長期にわたって糖尿病に悩まされてきた(最終的には血管も破損状態で亡くなった)。その為に体力はない。根気も続かなかったのである。「自分では社長職をこなすのは無理」と本人が一番、自覚していた。市郎氏は「社内には本社に対する批判・怨嗟の声があがっている。本社外から社長人事を決定すべきだ」と腹を括った。昔、熊本営業所時代に苦楽を共にした松尾氏を代わりに社長へ推薦した。ここに松尾社長体制が発足したのだ。

<トライアングルの崩壊が躓きの始まり>
 1994年松尾社長新体制は、早川市郎会長・松尾盛安社長・早川慶一郎常務のトライアングル体制でスタートしたのである。この三角形の緊迫関係で会社運営はバランスが保たれていた。ところが体調を悪化し続ける市郎会長は出社回数が減ってくるようになった。ついにここ10年前からほとんど出勤が不可能になった。経営方針の最高決定事項の討議決定者は松尾社長・早川常務2人になってしまった。早川常務はオーナー一族のメンバーでそれなりの株数を有している。周囲は「社長ではないものの早川常務は松尾社長にもう少し発言具申してよさそうなものだ」と囁いていた。
 世の現実の面白さはここにある。故人・早川会長は身内の早川常務よりも他人の松尾社長の方を信頼していたのだ。松尾社長・早川常務の対立案件に対して早川会長はことごとく松尾案件に軍配をあげていった。「これでは会社の改革は進まない。居ても無駄」と判断した。妻も失い人生の儚さを感じていた早川常務は退任の道に走ったである。ここに完全にトライアングル体制が崩れた。誰もチェックする存在がいなくなった。もう怖いものなしだ。この5年間、松尾社長のワンマン体制が完成して好きなように采配を振るうようになった。

(つづく)

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