韓国で三代続いた軍事政権(朴正煕(パク・チョンヒ)/全斗煥(チョン・ドファン)/盧泰愚(ノ・テウ))は、職業軍人であった3氏が大統領に就任していた時代を指す。概ね1961年~1988年が指されるが、現在のパク・クネ大統領は、軍事政権突入の1代目・パク・チョンヒ元大統領の娘だ。1952年生まれのパク・クネ氏は61年の軍事政権時代には9歳。その後、学生時代の多感な時期を父親が政権を築いていた韓国で過ごし、のちフランスに留学している。
「軍事政権」さらには「その1代目の大統領」と聞けば、パク・チョンヒ大統領に対し「悪いイメージ」を持つかもしれない。しかし、韓国では、パク・チョンヒ氏に対する評価が主に世代間で「二分」しているそうだ。韓国人行政担当者は「軍事政権時代、学生運動抑圧で民衆が殺されたりもしたが、時代背景としては経済が成長していった時期。抑圧も発生したが、一方で高速道路などのインフラ整備、製鉄業の発展、アラビア諸国への出稼ぎ推進など功績を評価する人も多い」と言う。
パク・チョンヒ大統領の功績として「セマウル運動」があげられる。「セマウル」とは「新しい村」という意味で、「村の生産性を向上させ、個人所得を高める」「より暮らしやすい村を作り、福祉生活を楽しむ」などがスローガンだった。1970年4月にパク大統領が提唱し、1971年に全国規模に拡大、経済開発から取り残されていた農村の近代化を政府主導で実現していった。「北朝鮮-東ドイツ」が大きな経済圏を作っていた時代、韓国が切り込んでいく契機を作ったとされる。
スローガンを掲げ、政府主導で実現するプロセスは中国・毛沢東氏にも共通するが、毛沢東氏も時代や世代によって手腕の評価は変化する。1979年にパク・チョンヒ氏は暗殺される(パク・クネ氏27歳の時)が、現在では60歳代以上が「パク政権時代は『希望』があった」と、良い解釈で懐古する人も多い。経済成長に対する評価はあるが、一方で、民主化運動抑圧で投獄なども行なったことを重く見る世論も多く、特に若い世代にその傾向は強い。昨年の大統領選挙で、パク・クネ氏と大統領を争ったムン・ジェイン氏は、大学校在学中の1975年に当時のパク・チョンヒ政権に反対する民主化運動に関わった容疑で逮捕され刑務所に収監、釈放された後、弁護士になった。選挙の大きな構図としては「パク・チョンヒ政権を支持した年配世代基盤のパク・クネ氏VS民主化運動を重んじ軍事政権を忌み嫌う若い世代の支持を集めるムン・ジェイン氏」という構図となった。
選挙戦は接戦で、得票率51.6%のパク・クネ氏が得票率48.0%のムン・ジェイン氏を下した。仮にムン・ジェイン氏が大統領に当選していたならば、パク・チョンヒ政権時代の評価はもっと下降させられていただろうし、過去の手腕評価は時代の趨勢によって大きく変わる。
※記事へのご意見はこちら