福岡市中央区平尾霊園の入口近くに、ひときわ目を引く墓石が立っている。高さ3メートル、四方の巾が1メートルあり、立つというよりはそびえるという形容が相応しい。
1962(昭和37)年に四島一二三が作ったものだ。
この墓には「四島家」の名前が刻まれていない。
「今日、私や銀行があるのはお客さんはもちろん、行員のおかげにほかならない。行員やご家族に不幸が訪れたときは、できれば分骨してこの墓に入れて欲しい」という思いからだ。代わりに、一二三が発案し日頃から戒めとしてきた「心の泉」のなかからの格言が四方に記されている。
墓石の下に設けた納骨堂は四畳半ほどの広さで、二千人分の納骨が可能ということだ。
もっともそこには今、夫婦2人だけが眠っている。
およそ一二三は、社員(行員)を呼び捨てにするということがなかった。「くん」づけもせず、新入社員であろうが社員食堂の調理員であろうが、必ず「さん」づけで呼んできた。
アメリカで身につけたジェントルマンとしてのたしなみであろうか?社員はみな家族であるという考えは、極めて日本的なものでもあるが。
完成した日、墓石の前で妻・カツミと2人で写った写真が残っている。向かって右に礼服を着た一二三。左には着物姿のカツミ。
13歳年下のカツミは、一二三を支え、また温かい家庭を守ってきた。自分の子だけでなく、戦中には朝鮮の農園を経営していた兄・平太郎氏の子らも預かり世話をしていた。この頃を振り返り、一二三は「妻が寝間着姿でいることを見たことがなかった」と述懐している。
幼いときに愛児を2人亡くしていることも影響してか、終生家族を大事にした一二三であった。本稿の準備にあたり、関係者幾人かに「本当に浮いた話などはなかったのか?」と取材したが、誰しも言下に「それはまったくない」と言い切った。
一二三が育てた経営者の1人で、戦前から付き合いがあった(株)石井鉄工所会長(当時)の石井宗太郎氏が、回想集のなかで次のようなエピソードを紹介している。
「いつか百道のお宅へうかがったとき、何の話からだったか社長さんが『石井さん、司はえらいよ。あれは私より上手やもんね』と言いなさった。すると横におられた奥さんがね。ウワーッと泣き出された。『奥さん、よかったですね』と私が申し上げると、またウワーッでしたよ。」(『回想 二宮佐天荘 主人 四島一二三さん&記念館の風』)
また同書のなかで孫の榎本一彦氏も「じいさんがああした生き方ができたのは、蔭にばあさんがいたからですね。...二人三脚じゃない、二人で一人だったのですよ」と語る。
一二三は3時半頃起きて羊や鶏の世話をしてから、カツミの朝食を作っていたそうだ。自分の早起きにカツミを付き合わせるのは申し訳ないという気持ちがあったのだろうか。4時半頃に起きてきたカツミがそれを食し、夫婦の円満な一日が始まった。
一二三は1965(昭和40)年に設立された社会福祉法人福岡松美会・西新保育園の初代理事長を引き受け、私財を含め支援した。同園は「福岡方式」と呼ばれる保育行政の民間保育園づくり一号である。まだ保育園に対する世間一般の認識も浅かった当時、一二三とカツミの夫妻は笑顔で園を支えていった。
明治生まれの一二三は、今風に言えばフェミニストの顔も持っている。身についた「レディファースト」のマナーがそうさせたのであろうか?
一二三はカツミのことを「うちのサイが...」と呼んでいた。もちろん時にささいなことで夫婦喧嘩もしながら、終生仲睦まじいその姿は、周囲の者に安心感を与えた。
1975(昭和50)年10月12日、享年81歳でカツミが亡くなると、さしもの一二三にも急速に衰えが見えるようになる。
約1年後の76年11月1日、家族や友人らに見守られながら一二三は大往生を遂げる。享年95歳。天国のカツミのもとへ駆けつけるように。
「格言社長」として残した数々の言葉は、もっぱら自らへの戒め。榎本一彦氏によれば「自縄自縛の言葉」であり、それを他人に強制することは決してなかった。
墓石に刻まれているのは次の4つの格言だ。
「希望なきは死なり、満足は腐敗なり
勇気なきは精神的死者なり
一も努力 二も努力
努力なくして家庭の繁栄なし
平和なし 幸福なし」(東面)
「安心と自惚と油断は禁物
心の弛みは強盗より恐い
精神には常に武装せよ」(西面)
「堅持せよ 鉄の意思と火の精神力
断行せよ 信念の前に不可能なし」(北面)
そして正面には、可愛がった孫のうちの男子2人、和子の子でともに経営者の道を歩んだ榎本一彦、重孝の両氏が異口同音、「年を重ねるにつれ、これが一番良いと感じるようになった」と語る次の言葉が刻まれている。
「祖先に対する最上の祭りは
道を守り業を励むにあり」
希望なくして生きることは死と同じであると一二三は言った。
しかし一方、死んだ後も、残った者に希望を指し示す生き方があることを教えてくれている。無言で、今なお。
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