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輝く九州の女性たち

車4台分の花束を贈られた女性が残した伝統(中)~リョーユウ工業(株)藤井公子元代表取締役専務
輝く九州の女性たち
2014年1月15日 17:27

 「一企業を40年以上に渡って勤めあげ、退職時には車4台分の花束を贈られてその日を迎えた女性がいる」――そう聞いて、ぜひ会ってみたいと思った。リョーユウ工業(株)元代表取締役専務の藤井公子氏のことだ。女性が長年勤めるためには結婚、出産、子育てと、人生のライフイベントとの兼ね合い抜きには語れない。企業の顔と言われるほどの存在感を他者に与えていたのであれば、なおのことだ。ともすれば仕事の障壁にもなりかねない処々の事情を乗り越えて、輝きながら人生を送るためには何が必要なのか、その秘訣を藤井氏に訊ねてみたいと思った。

<毎日心掛けたことは社内外での「あいさつ」>
 ――今まで仕事上で、これは苦労したと思われたことはありますか。

 藤井公子氏(以下、藤井) 特別ありませんでしたね。ずっと毎日できることを当然のこととしてこなしてきただけです。特別なことは何一つありませんでしたよ。女性だからと区別されたこともありません。同じチームの仲間として扱ってもらいました。技術者が作業を始めれば事務所には社長を含め3人だけ。私たちが皆を引っ張っていくのだと、当たり前のように思っていました。勤め始めた頃からそうでしたから、このような社風にも違和感を覚えませんでした。

 ――先代の社長がなくなられたときは、いつもとは違ったのではないでしょうか。

リョーユウ工業(株) 藤井 確かにあの時はちょうどバブルが弾けたときだったので、大変でしたね。ただ先代は病気と闘いながら4年間、社長を勤めあげたので、私たちも最後は社長と伴走する覚悟ができていました。売上が半分以下になったこともありましたから、私たちも取引先との繋がりを絶やさないように必死でしたよ。でも経営者は多かれ少なかれいつも以上の力を発揮せねばならない経験をしているものでしょう。私の経験など、苦労のうちには入りません。

 ――ちょうどそのときに、専務という役職も担われていますね。

 藤井 今の社長もまだ若く、経験も浅かったので、会社設立当時から在籍する私が役職につき、支えるのは自然なことでした。幸いにも、社員の協力を得られて、皆が結束することができました。結束を高める良い経験をしたと思えば、確かに転機だったといえるかもしれません。社員の気持ちが離れないようにがんばりましたよ。給料は下がる一方なのですから、普通であれば離れる者が出てもおかしくはありません。でも、彼らがいなければ、私たちで切り曲げひとつできるわけではありませんから、作業が滞ります。彼らと気持ちがひとつになるように努め、彼らの気持ちを良く聞いてあげました。そしてできる限りの心配りを忘れずに。例えばお産のときに花を贈ることは、私にもできることでした。給料は上げられなかったけれど、花は贈ることができる。そういう、私にできることを懸命にやったのです。後、朝、会社の中をぐるぐる回って、「おはよう」と声を掛けることは、ずっと続けてきました。継続して行なったのは、それぐらいのことです。皆に奉仕しようという気持ちを守ってきました。

 ――だからすでに退職して時が経った人でも、藤井さんが辞められると聞いて、花を贈ってくれたのでしょうね。

 藤井 昨日も社員が遊びにきてくれましたよ。お子さんも一緒でした。

<会社の世代交代と重なった退職の時期>
 ――円満な退職ですね。心残りはなかったのですか。

 藤井 仕事を離れるには良いタイミングだったと考えています。今の若い人たちのやり方とは仕事の仕方、考え方が変わってきているのを2、3年前から感じていましたから、ちょうど世代交代というか、転換期だったのでは。

 ――今、世の中が全体的に世代交代の時期かもしれませんね。

フォトアルバム 藤井 メールやモバイルを使っての意志伝達など、若い世代は私たちのような対話と言う聴覚を使ったものではなく、文字を使う視覚的なコミュニケーションを重視しているように感じますね。対話を大切にしていた私たちと、視覚的に情報を提示する彼らとの間には明らかな違いを感じますが、彼らには彼らなりのやり方があるのだろうとも思います。ですから、私が職場を離れることで、新しい気の流れが生まれるのではないでしょうか。

 ――しかし、今まで社長を補佐しながらいいバランスでやってきたのでは。専務が抜けた後の穴をサポートするものを残しておこうとは考えられなかったのですか。

 藤井 私が会社に残したいと思ったのは、「人と会って、挨拶をして、おもてなしをする」という明るい社内の雰囲気ですよ。そのあたりは、今の諸石社長がちゃんと考えています。今まで来客があったら、私が率先して玄関まで出て行って挨拶をしていましたけれど、今は、社長が玄関で迎え、挨拶を励行しているようです。いなければいないでやっていけるものです。そうやって、人も企業も段々と幅を広げていくものです。私が退職する1カ月前ぐらいのことですが、社員がお客様の応対に出なかったのできつく叱ったことがありました。そのとき、社長も「専務の言うとおりだよ」と、私と一緒になって叱ってくれたんです。あれは嬉しかったですね。それまでは、社員教育は私が叱る役で、社長は後でフォローする役、という別々の役割を担っていたのです。でも、あの時、私の役割を、私と同じ気持ちになって一緒に行なってくれました。私がいなくなっても大丈夫、という気持ちを確かなものにしましたよ。

(つづく)
【黒岩 理恵子】

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▼関連リンク
・リョーユウ工業(株)HP


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