「文化で街を開拓する」という典型的な例で「釜山」をアジアの一大文化圏に押し上げたのが韓国・釜山だ。
中国では、「湖南テレビ」の力によって、湖南省・長沙を一大文化都市に成し得たが、似たようなパターンでもある。湖南テレビは、当時20代30代の若手社員をイギリスの放送局・BBCなどに長期研修に出し、番組内容を一新。湖南テレビの名は全国に轟き、「長沙と言えば、あの湖南テレビね」と中国人が認識するほど、浸透している。
釜山は、それまで韓国の観光地として日本からの観光客が訪れる程度だったが、1996年「釜山国際映画祭」を創設。その後、国や自治体も予算面などで全面バックアップし、ゲーム、映画、ITなど「コンテンツ産業」に特化、都市の認知化に成功した。
日本の映画祭は、仮に海外からの作品を受け入れても「日本中心、海外作品はマイナー」という程度で、「日本レベル」での開催でしかなかった。しかし、釜山の映画祭は「韓国国内ではなくアジア以上のレベル」で展開。司会者として中華圏で活躍する中国人俳優を招くなどして、「海外メディア」に向けたPRも展開している。
「映画の殿堂」というシンボルタワーは芸術性に溢れ、映画ファンでなくても圧倒されるという。
毎年10月上旬に開催されている同映画祭。かつては福岡にも「余りチケット」が関係者用として流入してきたが、インターネット発券が奏功し、アジア各地からの需要もあって、発売直後には売り切れ。関係者ですら入手困難だという。
ある韓国人行政通訳者は「釜山は10月に映画祭、さらには大規模な花火大会もあって日本のみならず世界中から人が押し寄せます。『文化の都市・釜山』というイメージが根付いてきましたね」と話す。
映画祭の成熟につれ、招聘はアジア圏内のみならず、ハリウッドやヨーロッパに及び、クエンティン・タランティーノ氏、トム・クルーズ氏(釜山市の名誉市民に任命)、オリバー・ストーン氏らのメジャーな人物も映画祭にゲスト参加している。
映画祭の時期に、釜山の街を歩くと、世界から訪れた著名な役者がレストランで食事をしているシーンに出くわすこともあるとのこと。「私の友人も、映画祭の時に、街なかで、韓国人俳優のチャン・ドンゴンさんを見かけ一緒に写真を撮ってもらいました。映画祭は街の雰囲気も独特で、俳優にとっても『プライベート』な空間という認識も少ないから写真にも気軽に応じてくれるんでしょう」と、前述の韓国人通訳者。日本の役者も映画祭に訪れ、夜、街に繰り出し韓国料理に舌鼓、ということも少なくないそうだ。動機不純と嘲笑されそうだが、有名人に会いたければ、映画祭時期の釜山はおすすめの1つである。
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