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「NISA」(ニーサ)に潜むリスクを検証する(3)
経済
2014年1月16日 07:00

 2008年のリーマン・ショック以降低迷していた証券業界は、今まさに花が一斉に咲いたように活気付いている。それは一昨年末に誕生した安倍政権が打ち出したアベノミクスによって、株価が上昇したからである。証券業界がNISAに力を入れているのは、今のうちにその余勢を駆って顧客の囲い込みを始めようと虎視眈々と狙っているように思える。雌伏すること4年余り、ここに至るまでには証券業界にとっては厳しい道程の連続であったと言っても過言ではないかもしれない。
 証券会社ではバブルが崩壊する1980年代後半まで、顧客とセールスマンとの間で一任勘定よる売買が行なわれ、それを良いことにセールスマンは手数料を稼ぐため異常なほど頻繁に売買を繰り返して顧客に損失を与え、「一任されていた」、「任せた覚えはない」というトラブルが発端となり、やがて損失補填事件を生む原因となった。
 そのため大蔵省(橋本龍太郎大蔵大臣)は損失補てんの禁止・一任勘定での売買を禁止する証券取引法の改正を1991年10月5日公布し、翌年1月より施行され一任勘定は登録した投資顧問会社しか認めないようにした。

bi_2.jpg バブル崩壊とともに大量の不良債権を抱えた金融機関はその処理に追われ、以後「失われた20年」といわれる経済不況に晒されることになる。
 証券業界では1997年11月3日、三洋証券が子会社でノンバンクの三洋ファイナンスへの保証債務が巨額に上り支えきれずに経営破綻。その後野村證券、大和証券、日興証券とともに日本の「4大証券会社」の一角であった山一證券が「飛ばし」により、同年11月24日に自主廃業に追い込まれた。ちょうどその日は祝日、勤労感謝の日の振替休日であったが、午前11時30分に東京証券取引所で記者会見に臨んだ野澤正平社長が、「社員は悪くありませんから」と泣きながら発言し、その様子は当時のマスコミによって大々的に報じられた。

 余談になるが、筆者はそれから7年後の2004年(平成16年)の秋、センチュリー証券(現日産センチュリー証券)の社長として証券業界に復帰した直後の野沢氏と昼食を共にしたことがある。「1997年の6月に山一証券の社長に就任して僅か5カ月後の『涙の会見』だった」と、実直な性格そのものの語り口で当時の心境を語ったことが、昨日のように思い起こされる。

 余談はさておき、本題に戻ることにしたい。

 その後、金融機関の倒産は証券会社だけでは済まなかった。銀行業界では三洋証券が経営破たんした2週間後の11月17日、北海道拓殖銀行が経営破たん。翌年の1998年10月13日には日本長期信用銀行、そのちょうど2カ月後の12月13日に日本債券信用銀行と立て続けに経営破たんし、日本経済は未曽有の金融不況に見舞われることになった。

(つづく)
【北山 譲】

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