わたしと会わないうちに田中さんは症状が急速に進んだようだ。その日、わたしは警察官とふたりで田中さんを説得した。わたしには退っ引きならない用事があり、その場を警察官に任せて離れた。後から聞いたのだが、田中さんはセイユーに焼酎を買いに行ったものの、途中で座り込み動けなくなったという。数日後、集合住宅の自宅で倒れている田中さんが発見された。孤独死であった。
あのときわたしにできたことは何だったのだろうかと思う。警察官がいるのだから、警察署への通報は不要だ。じゃ何をすればいいのだろうか。次のシミュレーションが読めないのだ。警察官がいるというだけで、妙な安心感を抱く。
警察官がいなかった場合、たとえば包括支援センターや市の高齢者支援課などに通報することも可能だろう。しかし、その後は一切わたしに事後報告がないのだ。個人情報保護法とかの理由らしい。知人の急場を通報したという行為だけでは納得できない。
2年前の春先、知人が救急搬送され、亡くなった。長坂静雄(仮名・享年75)さんとは自治会の役員同士という付き合いがあった。妻を亡くしてひとり暮らし歴5年目。自治会の会長選挙の問題で窮地に追い込まれ、飲酒が増えていた。わたしは「自治会長選挙立候補の辞退」を迫った。しかし、長坂さんのプライドが許さなかった。顔色が悪い。食事も喉を通らないのだろう。さらに酒量が増えた。「こんな生活をしていると、あんたは死ぬよ」と忠告したが受け入れてもらえなかった。間もなく心筋梗塞で倒れ救急搬送された。
しかし、公的な機関は搬送された病院名を教えてくれない。ようやく探し当てた心臓専門病院へ押しかけたものの、入院の有無さえ話してくれない。長坂さんの死んだ翌日に尋ねた。「お答えしかねます」と病院の受付係は同じ言葉を繰り返した。
昨夏に亡くなった桐元直太郎(仮名・享年60代後半)も、妻の入院で生活が一変した。酒で紛らわす日々が続いた。このときも、「こんな生活をしていたら、あんた死ぬよ」と警告した。しかし応じてくれない。桐元さんは受給できた生活保護費の大半を酒代につぎ込み、朝から飲んだくれた。わたしの忠告通り倒れ、搬送先の病院で死んだ。
3人の死は、通常広報される自治会の掲示板にさえ掲示されなかった。人知れず死に、住民の誰の目にも触れることなく消え去った。とくに田中一郎さんと桐元直太郎さんは集合住宅にいたことすらなかったように、日常の会話にも上ることがなかった。こんなことが常態化しているのである。おそらく仮設住宅で亡くなった独居者の大半が、わたしの3人の知人と同じような軌跡を描いてこの世を去ったのだろうと推測できる。
それにしても問題が残る。もし、これを読んでくださるあなたがあのときの田中一郎さんと出会ったとしたら、どういう行動を取り得ただろう。田中さんは酒を欲しがっている。わたしの目にも田中さんの異常な状態が末期的だということが理解できた。しかし、田中さんは救急車を呼ぶな、と主張している。本人の同意なくして救急車を呼ぶべきなのか。その場には警察官もいる。正論なら、どのような状況であれ人道的にも救助すべきだということになるだろう。でも、敢えていわせていただけるなら、そのとき、「人生の最期は自分の判断に任せるべきだ」という自分がいたことも否定できない。つまり、「飲みたいだけ飲ませてやれ」という判断を否定できないでいる。
長坂静雄さん、桐元直太郎さんのときも酒を手放せない状況だったことが、わたしには理解できた。そういいながら、「昼間から酒を飲むべきではない。このままでは死ぬぞ」とわたしは忠告しているのだ。自己矛盾を感じながらもわたしはあまり好きではない「原則論」「正論」を吐き続けたのだ。不幸にしてわたしの予感は的中した。宣告後、それほどの時間を経ずして3人とも亡くなった。死への直接的な引き金は「酒」であることに間違いない。孤独死が額田氏のいう「緩慢な自殺」、つまり「時間をかけながら自分で自分を殺す」というのなら、そこへ辿り着くまでのプロセスのなかに、解決の鍵があることを承知している。同時に、3人の知人の死を未然に防ぐことのできなかった自分の無力さにも気づいている。「地域で高齢者や生活弱者、障害者を助け合おう」というキャッチコピーが空しく聞こえる。個人情報保護法は地域を殺すことも行政は知るべきだろう。
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。
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