安倍内閣に追い打ちをかけるように、2007年7月29日に実施された第21回参議院議員選挙で、政権を担う自民党・公明党は共に歴史的惨敗を喫した。なかでも自民党は、党創立以来守り続けてきた参議院第1党の座を民主党に奪われた。このため、自公政権は参議院においては少数与党として「ねじれ国会」への対応を迫られることになった。
それでも小泉政権が進めた規制緩和が浸透してきた効果もあり、安倍政権下の日経平均株価は下図のように大きく下げることはなかった。
参院選挙敗北後の9月10日、安倍首相は第168回国会の所信表明演説を行なったものの、代表質問が始まる予定の9月12日緊急記者会見を開いて、「テロとの戦いや改革を円滑に進めるために自分が身を引くことが最善だと判断した」として首相を辞することを表明。
後日、過度のストレスによる潰瘍性大腸炎(脱水症状・体重減少・体力の著しい減退等)の悪化が理由だったことが判明したが、日経平均株価の推移を見る限り、退任しなくても良いような経済環境だったことが読み取れる。ただもしそのまま続投し、リーマンショック後に刀折れ矢尽きる状態で退陣を余儀なくされていれば、今の第2次安倍内閣は成立しなかったと言えるかもしれない。
安倍首相の退陣を受けて9月26日に福田康夫内閣が誕生するが、国内の政治情勢が混とんとする中、アメリカにおいて07年夏ごろから住宅価格が下落し始め、返済延滞率が上昇し、住宅バブル崩壊へと至るサブプライム問題が浮上。これと共にサブプライムローンに関わる債権が組み込まれた金融商品の信用保証までも信用を失い、市場では投げ売りが相次ぐ金融危機に見舞われることになった。
その影響を受け07年12月末の日経平均株価は下表のとおり、15,307.78円と下げに転じていくことになる。追い打ちをかけたのが翌年の08年9月15日(月)、アメリカの投資銀行であるリーマン・ブラザーズの破綻であった。9月12 日(金)の日経平均株価の終値は12,214円だったが、そのあおりを受けて大暴落を起こし、翌月の10月28日には一時6,994円まで値を下げ、わずか1カ月半の間に半値近くに下落。その年の12月末の終値も8,859.56円となり、06年末に付けた17,225.83円のほぼ半値となった。その後も株価は低迷が続き、民主党の野田毅内閣が発足した11年12月末には8,455.35円となり、21世紀に入っての最安値を記録。ラップ口座を利用していた個人投資家は大きな損失を被ることになる。
※記事へのご意見はこちら