経営再建中のハウステンボスは当初の計画を5年前倒しし、2014年9月期で再建を完了させると発表した。これは、13年9月期が過去最高益を更新するなどの好業績を受けたもので、10年度から10年間にわたって受け取る予定だった佐世保市の再生支援交付金を5年で終了し、残りは返上する。大手旅行会社HIS創業者の澤田秀雄氏がハウステンボスの支援を開始して3年半。澤田氏に、これまでの振り返りと今後について語ってもらった。
<及第点まであと1歩>
――澤田社長は今からちょうど3年半前にハウステンボスに来られたと思いますが、まずは最初の印象からお聞かせください。
澤田秀氏(以下、澤田) 最初に来たときは、店もたくさん閉まっており、それで建物も古くて、修理が必要な箇所がたくさんありました。当時、すでに18年が経過し老朽化が進んでいましたから、汚くなっているという印象を若干受けました。
あとは社員たちにあまり元気がありませんでしたね。負け癖というか、うまくいかない文化、儲からない文化ができあがってしまっていました。今までにも何回も社長が変わっていて、また新しい人が来てもどうせ変わらないだろう、というような状態だったように思います。
――その負けることが当たり前の意識を、勝つことが当たり前の意識にしていくというのは、マイナスをプラスにしていくわけですから、倍の努力が必要になりますよね。それは、具体的にはどのようなことを。
澤田 具体的には、やはり「まず黒字になる」ということを見せないとダメですよね。18年間1度も黒字になったことがありませんでしたから、社員たちは最初「本当になるんですか」「18年間、誰が来ても黒字にならなかったのに」という感じでした。それが最初の1年から黒字になり、それまではボーナスが1度も出ない会社でしたが、少しだけれどボーナスも出始めました。やはりそういうことで、徐々に徐々に、意識というか文化を変えていくしかありません。
その結果、来たときは40点台だった評価が、2012年は57点で、13年は59点になりました。及第点が60点ですから、まだまだというところですね。
――でも、あと1歩のところまでは来ているわけですね。
澤田 だいぶ良いところまでは来ましたね。それも、社員たちが頑張ってくれたし、みんなで努力したからだとは思います。
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<プロフィール>
澤田 秀雄(さわだ・ひでお)
1951年、大阪出身。73年、旧西ドイツ・マインツ大学留学。帰国後の80年、エイチ・アイ・エスの前身となるインターナショナルツアーズを設立。96年、オーストラリアにThe Watermark Hotel Gold Coastをオープン、会長に就任。同年、スカイマークエアラインズ(現・スカイマーク)を設立。その後、証券業などにも参入。2003年、モンゴルAG銀行(現・ハーン銀行)会長、2007年、澤田ホールディングス(株)代表取締役社長に就任。09年、エイチ・アイ・エス代表取締役会長、10年、ハウステンボス(株)社長。11年、HTBクルーズ(株)会長、12年、公益財団法人東京交響楽団理事長、13年、公益財団法人松下政経塾評議員に就任。
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