<移設反対派が勝利した名護市長選>
米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)を名護市辺野古沖に移設する是非と問う名護市長選挙(1月19日投票)は、受け入れに反対する現職の稲嶺進氏が1万9,839票を獲得して当選した。これに対して日本政府は、仲井真弘多沖縄県知事が辺野古沖の埋め立てを昨年末に承認したのを踏まえ、予定通り移設を推進する予定だ。しかし、稲嶺氏の再選を受けて、県内の移設反対派の動きは激しさを増すに違いない。
<日本はフィリピンの教訓を学べ>
基地問題を考える上で、日本が教訓とすべき事例がある。それはフィリピンだ。フィリピンの辿った流れを研究すれば、基地問題の本質が見えてくる。
今日、南シナ海における中国とASEAN諸国との対立・緊張関係を作り出した原因の1つが、フィリピンにあった世界最大級の在外米軍基地(スービック海軍基地・クラーク空軍基地)からの米軍の撤退であった。
1991年、フィリピン国内で反米感情が高まるなか、フィリピン上院は両基地の使用期限の延長を否決した。当時、安全保障の専門家の多くが「フィリピンの戦略的位置からして、米軍が簡単に基地を返す(撤退)ことはない」と見ていた。ところが、米国はフィリピンと再協議をすることもなく、翌年には米軍は撤退してしまった。
その結果、「力の空白」につけ込むかのように、中国が南シナ海に進出してきた。そして95年、中国、フィリピン、ベトナム、マレーシア、台湾が領有権を主張している南シナ海の南沙諸島のミスチーフ環礁を、中国は占拠してしまったのである。
フィリピンは、南沙諸島周辺海域を航行中の中国漁船を領海侵犯として拘束するなどの報復に出たが、軍事行動をちらつかせる中国に対してなすすべがなかった。
99年に入ると、中国はミスチーフ環礁の軍事要塞化を進め、あっという間に南沙諸島(スプラトリー諸島)を占領してしまったのである。当然、フィリピンは中国に対して抗議したが、後の祭りで、南シナ海の拠点を中国にみすみす奪われてしまったのである。
南沙諸島の領有権問題は、日本にとっても無縁ではない。日本が中東から輸入している原油の80パーセントはマラッカ海峡、この南沙諸島周辺海域を通過して入ってくる。そのため南沙諸島周辺海の治安維持は、日本のシーレン確保の上のうえでも重要な地域なのである。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。
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