生活の党の党大会には、民主党から大畠章宏幹事長、みんなの党から浅尾慶一郎幹事長、日本維新の会から松野頼久国会議員団幹事長、社民党からは福島瑞穂副代表が出席した。結いの党からは先日の結党大会の返礼として、江田憲司代表が参加している。
同党は結いの党と同様に細川氏への応援を表明している。代表の小沢氏は「私が出るとイメージが悪い」と表に出て来ないが、選対に応援部隊も派遣している。事実、23日の渋谷駅前の街宣では、同党所属の前衆院議員であり小沢氏の元秘書だった川島智太郎氏が姿を見せている。
にもかかわらず、細川氏は同党の大会には祝電を寄せていない。それでも同党幹事長の鈴木克昌氏は、「細川事務所がこの裏にあるので、どうぞ立ち寄って激励してくれ」と党大会に参加した党員に呼びかけている。これでは完全な「片思い」と思われても仕方ない。
しかし、「片思い」ならまだ美しい。昨年末から憎しみ合い、壮絶なバトルを繰り広げているところがある。みんなの党とそれから分離した結いの党だ。衆院と参院の会派の問題で、年をまたいでまだもめていたのだ。
「だが衆院の場合、山内康一国対委員長はさほどこだわりはない。間もなく解決するだろう。問題は水野賢一氏が主導する参院だ。水野氏は絶対に結いの党の会派分離を許さないだろう」(みんなの党関係者)。
この関係者の言葉通り、16日はちょっとした騒ぎが起こった。結いの党の小野次郎幹事長が「会派分離を認めてくれないのなら、訴訟も辞さない」と明言したのだ。会派確定の期日は20日の月曜日。土日を挟むのでなんとか金曜日までにかたをつけたい。そのために期限を17日に設定して、みんなの党に対して強気に出た。
だが実際には、小野氏は元の同僚であるみんなの党の議員のもとをかけずりまわり、1人ひとりから了承を得ようとしていた。
そんな小野氏に同情したのが、逢沢一郎衆院議運委員長だった。逢沢氏は何とか衆院だけでも分離させようと仲介役を買って出た。みんなの党から出された条件は、離党者にヒアリングを行なうことだった。
「24日にヒアリングをすることが、会派分離の条件だ」。
そして23日に、衆院の7名がみんなの党の会派から離脱し、結いの党の会派を結成した。
ようやく解決のメドが見えたのだが、これを江田氏がひっくり返す。「やはり訴訟も辞さない」と江田氏はヒアリングを拒否した。とうとう逢沢氏がぶち切れた。小野氏を呼び、問い詰めた。
「ふざけんなー!」。
衆院本館内にある議運委員長室から、小野氏を罵倒する声が聞こえた。逢沢氏は普段は穏やかで、以前にみんなの党にQTの質問時間を分けたときに渡辺喜美同党代表が「自民党の腐ったのが民主党」と述べたときですら、こんなに怒ることはなかった。
「よほど腹にすえかねたんだな」。
罵声を聞いた記者たちはみな驚き、逢沢氏に同情した。
「ヒアリングに応じると約束しておきながら、先に会派離脱しておいて、結局はヒアリングに応じない。これじゃまるで離脱詐欺だな」。
こんな嘲笑の声も聞こえた。
逢沢氏に叱られた小野氏は、大慌てでその日の4時にヒアリングを設定した。
一方で、何とも動かないのは参院だ。ある関係者が背景を解説した。
「参院で停滞している元凶は、政調会長の水野氏だ。水野氏は小野氏と親しく、本会議の議席も隣合わせだった。小野氏が離党表明する前日も、仲良く並んで談笑していた。ところが小野氏は、水野氏に断りなく、みんなの党を離脱した。水野氏にとって、とんでもなく裏切られた気持になったのだろう」。
25日に開かれた中島克仁衆院議員の国政報告会で、渡辺氏はこう回顧している。
「江田代表とはみんなの党をつくるときから考えに大きな違いがあった」
脱官僚を提唱する渡辺氏と江田氏に期待し、票を投じた有権者は多かったはずだが、彼らが同床異夢だったとすれば、有権者が見たのは幻想だろうか。
細川氏と小泉氏のタグも、脱原発だけでつながっている。もともと政治的な背景がまったく異なる両者だが、それを都民は理解したうえで1票を投じなければならない。
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