建設技能業種もどうにか陽光を浴びられるようになった。とび・土工、型枠・鉄筋などの下請け業者の業績回復が著しい。結構なことだ。「今まではゼネコンが上で下請けが下」という風潮が蔓延していた。しかし、現場では下請け部隊が働いて、初めて利益が出るのである。下請け部隊の汗と涙の結晶で、元請け業者に潤いが持たされるのだ。さらに建設技能業界の働き手たちの稼ぎがアップすることを願う。
<中村工業、完工高50億円へ回復>
中村工業(株)(本社:福岡市中央区、中村隆輔社長)と言えば、とび・土工業界のリーダー格である。この会社の技術が、日露戦争における旅順港攻略に一役買ったという有名な逸話が残っている。下関にあった砲台を解体移送して、旅順港に隣接した丘に取りつけた。この砲台の威力が凄まじく、粘りに粘っていたロシア軍がついに白旗を掲げて降参したのである。砲台の移接・取りつけの工程を支えたのが、中村工業の技術力だったというのだ。
この会社が赤字で苦しんでいた。受注減と単価の値下げの強要で、2010年3月期前後に3期連続赤字を余儀なくされてきた。この苦しみからの脱却傾向は、1年前から表れ出した。前期に続いて14年3月期は好調になった。久しぶりに完工高50億円を突破しそうな勢いだ。「累損も一掃できる」と中村社長が断言する。「今回、新年の挨拶回りして廻ったが、皆さん元気な顔をしている。昨年とは大違いだ。会う人の誰もが『東京オリンピック開催の2020年までは大丈夫であろう』と語っていた」と安堵感を漂わせている。
これまで地獄の苦しみに追い込まれてきた。体質改善を図るために、コンサルを導入した。彼らの指導の鉄則は『経費削減』である。だが、同社の場合は大半の工事が材料支給である。だから削るとなると、労賃・人件費しかないのだ。わかりやすく言えば、50億円の完工高のうち40億円が労務受け工事なのである。社員が現場に200人を張りつかせて協力業者の部隊が300人を超える。この現場部隊を駆使して工事の進捗がなされる。スーパーゼネコンといえども、中村工業の存在を抜きに利益を得ることは無理なのだ。
コンサルから『人件費まで圧縮しろ!!』と迫られる。指導を拒否することは無理だ。泣く泣く10年前には人件費を10%カットしたのである。そして連続赤字の渦中の5年前に『35億円でトントンになる体質強化』が至上命令となった。とてもじゃないが、2ケタのカットは無理である。中村社長は『赤字も覚悟する。これ以上生活給を下げたら、家庭維持が不可能になる。だから5%の削減に止めた』と悲惨であった裏話を披露してくれた。
2年前から少しずつ、風向きがチェンジし始めたのである。受注の回復、単価のアップが通り出した。急転直下に激変したのが、昨年8月あたりからだ。「とにかく現場員を確保してください」とゼネコン側からの強い懇願がなされるようになったのだ。環境が変わると、若手社員たちの士気も高まってくる。毎年5名の新規採用をすれば、1年で4名離職する壊滅状況があった。ところが、近年は4名が定着するような嬉しい傾向になってきた。「1年働いてくればまず定着してくれる。この機会に、若手にとって魅力ある職種に仕上げたい」と語る。建設技能職種の代表格である中村工業に光明が差すということは、喜ばしいことだ。
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