政治経済学者の植草一秀氏は2月10日付のブログ記事で、東京都知事選で舛添要一氏が圧勝した背景に3つの要因があったことを挙げた。そのなかの1つが、日本の政治を膿む病根となっていると警鐘を鳴らしている。
2月9日に投開票日を迎えた東京都知事選は安倍政権与党の自公が支持した舛添要一氏の勝利で幕を閉じた。選挙に向けての戦いの構図、そして、情報戦の結果であり、結果は予想された通りのものであった。選挙時に東京地方を襲った大雪と暴風が投票率を大幅に押し下げる効果をもたらした。
都知事選の結果を受けて、安倍晋三政権は1月19日の沖縄県名護市長選での敗北の影響を修復する効果を得る。安倍政権は衆参両院での与党過半数議席による「数の論理」による、横暴な政治運営を加速させる可能性が高い。安倍政権の政策方針に反対する主権者は、今回の都知事選結果を真摯に受け止めて、今後の事態打開に向けて戦略の練り直しを求められることになる。
選挙に向けての構図は次のようなものだった。当初から最有力候補は舛添要一氏であり、対抗馬として名乗りを挙げたのは宇都宮健児氏であった。この基本図式で選挙が実施されるなら、舛添氏の当選が予想された。この図式に変化が生じたのは、細川氏が原発ゼロを前面に掲げて出馬の意思を表明したことによった。
東京都の主権者にとっても原発問題は極めて重要な問題であり、しかも、東京都は東京電力の大株主でもあり、原発問題は都知事選の最大争点として取り扱われてもまったくおかしくなかった。
問題は、この時点で、原発即時ゼロを主張する候補者が複数になったことである。原発即時ゼロが選挙の最大の論点となったとしても、その政策を提唱する候補者が複数になれば投票は分散し、当選は覚束ない。原発ゼロを争点にする選挙にするのであれば、原発ゼロを主張する候補者の一本化が必要不可欠であった。
結果として、自公の与党勢力が支持する舛添要一氏が当選したが、この結果がもたらされた三大要因は次のものである。
第一は、原発ゼロ主張候補者の一本化が実現しなかったこと。
第二は、メディアが舛添氏当選を誘導する情報工作を実行したこと。
第三は、天候要因も加わって、投票率が46.14%と歴代第三位の低いものになったこと。
決定的に重要な要因は、第一の候補者の一本化が実現しなかったことである。
投票の結果としては、宇都宮氏が第2位の得票を得たが、それでは、宇都宮氏に一本化すべきであったのかと言うと、それほど単純な話ではない。
与党陣営は、舛添氏を軸に、「必ず勝てる候補」という基準で候補者の選定を進めていた。
その候補に対抗して、かつ、選挙に勝つためには、十分な準備と対応が必要不可欠である。
具体的に言えば、ストップ安倍政権陣営の統一候補擁立の視点が当初から必要不可欠だった。
この点で、宇都宮氏の出馬は条件を満たしていなかった。
つまり、ストップ安倍政権陣営に根回しをして、ストップ安倍政権陣営の統一候補として宇都宮氏を擁立する手順が取られていなかったのである。
逆に言えば、「後出しじゃんけん」の逆に、「早い者勝ち」出馬宣言の形態を取った。
このために、宇都宮氏は「ストップ安倍政権」陣営の統一候補としての出馬を宣言したものではなかった。
仮に、細川氏の出馬が浮上する前に、宇都宮氏をストップ安倍政権陣営の統一候補とする案が検討された場合、そのまま宇都宮氏が統一候補として擁立されたのかと考えると、この点には疑問が残る。
舛添氏と宇都宮氏の一騎打ちで、宇都宮氏が勝利する見通しは立たなかったと思われる。
細川氏が出馬を宣言し、「原発即時ゼロ」が都知事選争点に急浮上したために、宇都宮氏への一本化も当然のことながら検討されたわけだが、宇都宮氏での一本化は、宇都宮氏の出馬表明の経緯からして困難な部分があった。
都知事選情勢が急変したのは細川氏の原発ゼロ宣言での出馬表明を境にしたものであったため、原発ゼロ陣営の一本化を実現するのであるなら、細川氏での一本化が順当であったとは思われる。
しかし、結果としては細川氏、宇都宮氏のいずれかの候補への一本化は最後まで実現しなかった。なぜ、この一本化が実現しなかったのかを考察することが不可欠である。
メディアによる情報工作についてはすでに本ブログ、メルマガで記述してきたが、具体的には、
1.原発問題が選挙争点にならないように、景気、福祉、高齢化、子育て、雇用、防災などの諸問題が選挙争点になるように仕向けた。
2.舛添氏が優勢で、細川氏と宇都宮氏が舛添氏から間を空けられて競り合っているとの情報が流布された。
この情報流布の狙いは、
1.「勝ち馬に乗る」行動で舛添氏の票を上積みすること、
2.「選挙に行っても当選はない」と思い込ませて、細川支持者、宇都宮支持者の投票意欲を削ぐこと、
3.細川陣営と宇都宮陣営を競合させて、投票一本化の気運を削ぐこと、
であったと思われる。
投票率を低下させる情報工作が実行されたが、そこに大雪という天候要因が加わり、投票率が著しく低下した。仮に、原発ゼロ候補者の一本化と投票率の大幅上昇が実現していれば、舛添氏が落選し、原発ゼロ候補の当選は十分にあり得たと思われる。
その可能性がありながら、その方向に選挙の構図が構成されなかったことを考察し、総括しなければならない。
宇都宮陣営にも、細川陣営にも候補者一本化に積極的な姿勢は見られなかった。候補者が一本化されなければ当選の可能性は極めて低かった。それにもかかわらず、一本化に終始、消極的な姿勢が取られたのである。ここに最大の問題点=病根があったのである。その裏側にある意図と作為を読み抜かなければ、日本政治の刷新は実現しない。
※続きはメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」第787号「原発ゼロ2陣営は本当に打倒舛添を目指したか」で。
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