「日本の国境線(領土)を正確に言えますか?」と質問して、正確に答えられる日本人がどれだけいるだろうか。学問的に研究している人や、自衛官や海上保安官を除けば、日常の仕事や生活で、国境線(領土)を意識することはほとんどない。「それは国家の問題であり、個人には関係ない」と思っている日本人が大多数であろう。
平成22(2010)年9月7日に起きた、尖閣諸島沖における中国漁船と海保巡視船の衝突事件以降、日本人の領土・領海問題への関心は高まったが、その熱も次第に冷めてきている。今年2月7日、安倍晋三首相も出席した形で「北方領土返還要求全国大会」が開催されたが、大会が開催されたことすら知らない日本人がほとんどだ。
<国境線の起源>
現在のような形で、国境線が決められたのは、1648年に締結されたヨーロッパの30年戦争を終結させた講和条約(ウェストファリア条約)が最初である。それ以前には、各国の領土のエリアを示す国境線は曖昧で、正確な国境線は引かれていなかった。
自分の家(土地)の隣地との境界線をめぐって、双方が1ミリたりとも譲歩しないためにトラブルが起こるケースがある。これは個人レベルでの境界線問題であるが、国家レベルにおいては、双方が1ミリたりとも譲歩しなければ、国境線戦争に発展する可能性すらある。
実際、世界中の多くの国は、陸上に国境線を持っている。陸続きということは、常に隣国からの侵略や戦争(紛争)に巻き込まれる恐れがあった。人類の歴史は、国境線を巡る戦争の歴史そのものなのである。
現代は「グローバリズムの時代」と言われているが、国境線が自然消滅するわけではない。経済のボーダレス化がどんなに進んでも、政治、民族、宗教の境界がなくなるどころか、逆に冷戦終結後、民族、宗教対立による紛争は後を絶たない。
<国境線を意識してこなかった日本人>
日本は国境線がすべて海上にあるため、鎌倉時代の蒙古襲来を除けば、海が外敵からの侵略を防いでくれていた。15世紀までに新羅や高麗が五島列島、壱岐、対馬、博多に幾度も上陸し、多くの日本人を拉致、殺害した事件は起きたが、国難と言える規模のものではなく、国境線を意識する必要はなかった。大東亜戦争でも内地(北海道・本州・四国・九州)に住む日本人は、国境線・領土を意識することなく敗戦を迎えた。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。
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