昨年末から連載させていただいた「断行せよ 信念の前に不可能なし」~四島一二三伝~にはさまざまな反響をいただいた。
福岡の地に、まさにベンチャーの先駆けとも言える先人がいたことは、古い経営者には旧知のことであっても、とくに若い方々にとっては新鮮な事実であったようである。
Webというメディアの性質上、連載では書ききれなかった部分や筆者個人の思いなどがあり、それを数回に渡って記させていただく機会を得たので「外伝」としてまとめてみたい。
「格言社長」と言われた四島一二三だが、福岡無尽の社長として戦前から掲げてきた以下の「宣言」がある。
獅子の宣言
一、獅子は、捨て身でまっしぐらに、自己の道に突入する人を愛します
二、獅子は、不可能とか、不得要領とか、不平とか、不満とかいふ言葉が大嫌いです
三、獅子は、積極主義の人を愛し、日和見主義に立てこもって、傍観的な、冷笑的な人は大嫌いです
四、獅子は迫力と、断行力と、旺盛なる精神を持つ人を愛します
(注・原文の旧字カナ使いを改めています)
現代で言うところのポジティブシンキング。ビジネスマンが仕事に臨む姿勢として、今なお生きる至言だと感じさせられる。
戦前だとはいえ、とくにこの考えが当時異彩を放っていたというわけではないだろう。しかし一方で、アメリカで身につけた現実主義が底流にはあるように思える。
遠慮とか、世間体とか、見栄とか、そういう日本的情緒からは少し離れたところに依っている一二三の立ち位置を表してるのではないか?
当時も、反抗津精神溢れる頑固な経営者や政治家はいたが、その大半は没落士族の出身で、語弊を恐れずに書けば「貴族趣味」が源流になっているように思える。
しかし一二三の頑強さは、武士階級のそれとも、また農村社会のそれとも異なる、いわゆる市民意識に根ざしているという感が、彼の半生を追うと見えてくるのだ。
これは戦後、相互銀行となったものの、もともとは無尽という庶民金融からスタートした福岡相互銀行、そして福岡シティ銀行の行風にも反映されていたように思う。
もっとも、子息の司氏により「家業的経営から近代的会社」へと経営刷新がなされ、さらに時が経ち統合もあって、現在の行員たちにはその気風は薄れているだろうが・・・。
一二三の「ケチ」は有名であった。
三本1,000円のネクタイを締め、ズックを履いて各地を行脚した。長らく通勤の足として路面電車を利用したことも連載で紹介した通りだ。
バブル崩壊後、デフレ経済が定着して安価で良質な衣料品が定着し、また健康のためのウォーキングシューズがビジネスの場でも市民権を得た現代ならともかく、高度成長時代の銀行経営者としては、ある種「奇行」の類いであろう。
また、「早寝早起き禁酒禁煙」で、「夜のおつきあい」をほとんどせず経済活動を行なうというのがいかに困難なことか、経営者の方々はご理解いただけることと思う。
明治人の「質素・倹約精神」だけでなく、通底するのはある種の「合理主義」である。
「欲しいモノは買うな。必要なモノを買え」
一二三が記した多くの格言は、他者に強制するものでなく、自らを律するためのものだった。裏を返せば、ともすればそういう傾向に流れかねない自らの弱さを自覚したからこそ、発せられた言葉とも言えよう。
だが、この「欲しいモノは買うな。必要なモノを買え」という姿勢は、家族にも多少の強制をともなって一族の生活スタイルを縛った。
長女・和子の嫁入りにあたっては、戦時中にもかかわらず松屋デパートで何着もの晴れ着を購入し、いざ自動車を使うとなれば高級なアメリカ車を導入した一二三であるから、モノを見る目は持っていただろう。単なるケチとは少々違う。
戦後の食糧難の時期にも、学生だった司をはじめ家族はほとんど食べるものに苦労しなかったというから、庶民の経済状態とは開きがあるが、ともすれば贅沢に流れがちな子孫に対し、「生きた金の使い方」を身をもって示していたのではないだろうか。
そしてまた、「興産一万人」を掲げ、多くの起業家に支援を行なっていった一二三が重視したのは、融資相手の「実業家」としての資質だったろう。いや、そういう資質を育てていったのだと言い換えてもいいかもしれない。自律し、蓄えをなし、なおかつ勝負の時に際しては失うことを恐れず、すべてをかける度胸。すなわち"獅子の精神"である。
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