<都合が悪くなると「重要文書」を焼く>
1945年8月15日の終戦前夜、都心の官庁街の様々な場所から幾筋もの煙が上がり、空は黒煙で覆われた。連合国側の戦犯裁判を恐れて、戦中、戦前の重要文書を焼いてしまったのだ。この「重要文書」を都合が悪くなると焼くという行為は、欧米諸国と比較して顕著な日本の特徴である。そして、2014年現在になっても、この傾向は本質的には全く変わっていない。
日本人はどこかで、重要な価値を持つ情報は本来秘密のものであり、一般の国民の手の届かないところにあって、スパイや軍人や外交関係者やそういう特殊な人たちの手にあるものであると思っている。これは、世界の常識とは全く違う。民主主義を大切にする世界では、「情報」は外に出すもの、秘密であってもいずれ出てくるものというのが基本である。
<国際社会で生き残る上で不可欠である>
何よりも、新聞からテレビ、インターネットとメディアが加速する現代、重要な情報こそ外部に発信し、それを「武器」とすることが、「国際メディア情報戦」を勝ち抜く、即ち国際社会で生き残る上で不可欠であると、高木氏は本書を通じて指摘している。
高木氏はNHKで数々の大型番組を手がけるディレクターである。前著『戦争広告代理店』では講談社ノンフィクション賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞している。本書は「イメージ」が現実を凌駕する(序章)~情報戦のテクニック~地上で最も熾烈な情報戦~21世紀最大のメディアスター~アメリカの逆襲~さまようビンラディンの亡霊~日本が持っている「資産」~倫理をめぐる戦場で生き残るために(終章)で構成されている。
<現実世界がどうであるのかは関係がない>
「国際メディア情報戦」とは銃を使わない戦争であり、国家、企業、PRエキスパート、メディアの担い手の間で行なわれる。
冷戦後、国際世論は、CNN、BBC、ニューヨークタイムズやワシントンポスト等の国際メガメディアの報道や論説を通じて形作られ、国際機関や主要国の政策もその影響から逃れることができなくなった。そこでは、現実の世界がどうであるのかは全く関係がない。
国際メガメディアで描かれたものが、そのまま「国際政治」の現実になっていくのである。情報戦では絶対に「でっち上げしない」ことが鉄則である。しかし、「どういう情報を出すか」をある意図を持って選び抜くことは自由なのである。このようなPR戦略がいけないという意識は国際社会には全くない。情報戦に負けることが罪なのであって、情報戦自体は当然のこととして受け入れられている。
本書ではボスニア戦争、アメリカ大統領選挙、アルカイダ等、実際に起きた事件が多く取り上げられている。2020年東京五輪決定に、イギリスのPRコンサルタント、ニック・バーリー氏のPR戦略が大きく貢献したことも詳細に書かれてある。すっかり有名になった決め台詞である「オモテナシ」は彼の考えたPR戦略の一環である。
<でかい広告を載せると言えばいいのだ>
一貫して著者は「日本にPR戦略は根付かないのではないか」と危惧している。その理由として、ある日本のPR会社の社長に聞いたエピソードをのせている。
そのPR会社の社長はある有力なクライアントに、メディアにその会社の記事を載せるためのPRプランをプレゼンした。するとクライアントの社長は「そんなに面倒なことをしなくてもいい。そのメディアの営業に電話して、取材するならでかい広告を載せると言えばいい」と答えたと言う。記事もカネで買えばいいだけだ。
一面では面倒極まりないPR手法が商売として成り立つためには、「報道の自由」とか「経営と編集の分離」など、ジャーナリズムや民主主義社会においては本来当たり前の原則が、実際に生きていなければならない。
<実態と運用においては民主主義ではない>
記者会見を仕切るMCに「・・・に関係する質問に限らせて頂きます」と質問を制限させられ、「質問内容は事前に提出したものに限らせて頂きます」と内容に条件をつけられても何の疑問も感じないことや記者クラブ等の実態を見れば、ジャーナリズムの原則を前提としたPR戦略など日本では成り立たないのは当然であるのかも知れない。恐るべきガラパゴス島・日本!
しかし、日本は制度として民主主義であっても、「その実態と運用において民主主義でないのではないか」と常に海外のメディアから疑いをかけられていることも決してわすれてはならない事実である。
本書を読むことによって、あなたの明日の「新聞」、「テレビ」、「インターネット」、「SNS」の見方はきっと変わると思う。
<プロフィール>
三好 老師(みよしろうし)
ジャーナリスト、コラムニスト。専門は、社会人教育、学校教育問題。日中文化にも造詣が深く、在日中国人のキャリア事情に精通。日中の新聞、雑誌に執筆、講演、座談会などマルチに活動中。
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