「TVニュースのタブー」(田中周紀著 光文社新書)
<TV報道の主体は記者ではなくカメラマン>
田中周紀氏は、「独自のネタを追い求めないような記者は、記者ではない」と言い切る。まさに「生涯一記者」のような人物である。
共同通信社で約15年、テレビ朝日で約10年の記者経験があり、テレビ朝日では、社会部・経済部の記者や「ニュースステーション」、「報道ステーション」のディレクターを経験している。この双方の経験を通じて、新聞社や通信社の記者と民放局の記者がどれほど似て非なる仕事なのか、さらに視聴率の呪縛から逃れられないTV局の「報道現場」の実態を明らかにしている。
活字メディアの新聞や雑誌では、記者は相手から様々なことを聞き出した上で、自分で記事を構成し、執筆する。問われるのは記事の内容そのものであり、その深みだ。しかし、映像メディアのテレビニュースでは、記事の中身よりもインパクトのある映像をともなうものの方が優先される。
民放局の報道の主体は記者ではなくカメラマンである。民放局の記者に求められているのは独自のネタを発掘する能力ではない。新聞や雑誌が報道したネタを後から追いかける(「後追い」)際に、いかにもっともらしく、さも自分が分かっているかのように視聴者に伝えられるかどうかが重要になってくる。
<TV報道の実態を歯に衣を着せず糾弾>
本書で主に取り扱っているトピックは以下の通りである。それぞれに対し、田中氏独自の視点で、歯に衣を着せず、容赦なく指摘、糾弾している。
・TV記者はなぜ記者会見で答えのわかりきった質問をするのか?
・なぜ負傷者もいない火事や動物絡みのニュースがよく流れるのか?
・報道さえ視聴率から逃れられない現実
・報道現場に圧力がかかることはあるのか?
・記者ではなくカメラマンが所属する部署が「取材部」?
・局員と制作会社のスタッフの間には大きな溝がある
・番組を支えているのは優秀な外部スタッフである
・政治家と癒着する政治部、まともな取材は不可能な経済部
・コネ入社の実態!
<コネ入社局員の実態を赤裸々に暴露>
NHKを含めTV局には、大手広告代理店、番組スポンサー企業、電波行政を司る総務省(旧郵政省)に影響力を及ぼす「郵政族」の国会議員、芸能人の子弟・親戚等のコネ入社の社員がウヨウヨいる。最近では、窃盗容疑(不起訴)で逮捕された、みのもんた氏の二男が、日本テレビの入社・筆記試験で答案用紙に「住所と名前しか書かなかった」事実が明るみに出たばかりである。
しかし、田中氏が社会部のデスク時代に出会った「コネ入社の社会部女性記者」はさらに面白く、度肝を抜かされる。
自民党「郵政族」の大物議員のコネで入社したその女性記者は、報道局を志望した理由を聞いた田中氏に何ら悪びれることなく「テレビにたくさん映れるからです」と答えている。その後も、彼女は事件関係者が帰宅するのを外で待つカメラクルーを尻目に「日焼けするから」と自分だけ車のなかで待つ等非常識で突拍子もない行動を繰り返し、結局どの仕事も勤まらず数年で退社している。
田中氏はマスコミのなかでもとりわけ高い倫理性が求められる報道局に、彼女のように非常識なコネ入社の局員を配置するTV局の体質を問題視、強くその姿勢を糾弾している。
<活字メディアと映像メディアの違いを認識>
最近TV番組の低俗化の話と併せて、TV報道のお粗末さの実態が露出するようになってきた。今週発売の週刊誌では、某キー局の記者が「朝の情報番組の場合、ラインアップの95%が雑誌・新聞掲載の「後追い」ネタで、独自取材はゼロに近い」ことを暴露している。
活字メディアと映像メディアのどちらが優れているのかという問題ではない。活字メディアが得意とする分野と映像メディアが得意とする分野はおのずと異なる。しかし、この認識をはっきりすることによって、我々のTV報道の見方は格段進歩する。その点から言えば、双方のメディアに身を置いた著者だからこそ書けた貴重な1冊と言える。
<プロフィール>
三好 老師(みよしろうし)
ジャーナリスト、コラムニスト。専門は、社会人教育、学校教育問題。日中文化にも造詣が深く、在日中国人のキャリア事情に精通。日中の新聞、雑誌に執筆、講演、座談会などマルチに活動中。
※記事へのご意見はこちら