<時間的猶予を許さない懐事情>
賛否両論の意見が交わされている九州電力の玄海、川内両原発の再稼動申請。なぜ急ぐのかというと、とにもかくにも九電の懐事情が時間をかけることを許さないのだ。現在の九電の状況は、まさに米びつの底を眺めながらの経営なのである。いわば、家財を質に入れながら、何とか食いつないでいる状態と言える。
福島第一原発事故以前、九電の発電力の大きな柱の1本が原発で、実に全電源の3割を占めていた。原発はその特性上、すぐに止めたりすることができない。それゆえ、基幹電力として活用されてきたのだが、それに頼りすぎてしまった。
いざ止まってしまうと、経営の屋台骨が揺らいでしまったのである。電気料金は公共料金であり、自己の都合で上下させることはできない。社の存在意義が電力の安定供給である以上、いかに厳しい状況であっても、何とかやりくりするより他ないのである。
まだ体力があるうちに原発が再稼動されたならばよかったのだが、それができない以上、1年、2年と経過するうちに余裕はなくなり、ただただこれまでの蓄積を食い潰していくことになってしまった。
2010年度は経常利益で500億円を計上していたが、翌11年度は2,300億円、12年度には3,400億円の赤字を計上してしまった。10年度までには積立金などの純資産(資本金、法定準備金のぞく)が6,400億円あったのだが、12年度末には1,000億円にまで減少した。いよいよ、ショックを受け止めることができなくなってきてしまったのである。
<電気料金値上げは切り札にならず>
厳しい状況を打破するために、九電は13年4月、電気料金8.51%の値上げの申請を行ない、5月からの6.23%の値上げ認可を受けることとなった。自由化部門は平均11.94%の値上げを決断した。しかし、消費者に負担を強いるこの行動は、さらなる経営効率化の断行を呼び込むこととなった。
【別表】は、13年の身を削った施策の数々をピックアップしたものだ。手持ちの資産を次々売却し、何とか食いつないでいこうとしているのである。原発が再稼動されれば、一気に体勢が逆転することも考えられるだけに、どうにかそこまでは、ということなのだろう。
原子力はかつて、低炭素社会の実現のために有効な発電手段として注目を集めた。それは、発電時に二酸化炭素を発生させにくいからだ。また、使用済みウランからプルトニウムを取り出し再利用することで、準国産エネルギーとも位置づけられてもいた。それゆえに、原発をさらに活用していく方針もとられてきた。しかし、それは現実から目を背けてきたことでもある。原発はやはり、潜在的な危険性を完全に除去することはできないのだ。
危険性だけではなく、その廃棄物の処理のための策も充分に練られていない。もしも規制庁が新たな規制基準をクリアしたとの判断を示したとしても、すんなりと再稼動できるかどうかは不明な情勢だ。"安全神話"が完全に崩れた今、電力会社はその立ち位置を改める必要性に迫られている。
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