「安心して命を預けられないがん治療現場がある」―残念なことだが、世間ではそのような声を聞く。厚労省が「国、地方公共団体、また、がん患者を含めた国民、医療従事者およびマスメディアなどが一体となってがん対策に取り組むこと」と宣言しているにも関わらずだ。がんが日本人の死因第1位となり、2人にひとりは罹患者といわれているなか、この世間の声は聞き逃せない。当連載では、医療に不安を覚える人々のために、最先端の治療情報を収集し、先進医療と罹患者との架け橋とトップドクターとのルート作りに邁進するソニー生命保険(株)の吉田優貴雄氏に協力を仰ぎ、「がん患者を含めた国民が、がんを知り、がんと向き合い、がんに負けることのない社会」(厚労省)の実現を目指し、情報発信を行なっていく。
なぜ「最先端の治療情報」を収集し、「トップドクターとのルートつくり」をするのか?(前)
<日帰り手術が胃の全摘出手術へ>
私の父は65歳時に健康診断で胃がんが発見され、その後すい臓がん、肝臓多発転移後、72歳で他界しました。診断当初「初期がんで日帰り手術」の予定が、いつのまにか「胃の全摘出手術」に変わっていました。手術後は胃での消化がほぼできないため、食事量は、盃の裏ぐらいの量に変わりました。その結果、体格の良かった父は別人のようにやせ細りました。
経営者だった父は銀行に病気のことを知られることを嫌い、入院中も病院を抜け出して銀行に顏を出し、予定より10日も早く、勝手に退院、復職しました。
<セカンドオピニオンが実現ならず>
その後、6年が過ぎ、安心していた矢先にすい臓がんが見つかりました。父は手術の2日前に母に伝え、すぐに私に連絡が来ました。驚いた私は父に、当時すでに千葉の放射線医科学研究所で実施されていた「重粒子線治療」の話をし、手術を延期してまずはセカンドオピニオン(医師の診断や治療法が適切か、患者が別の医師の「第2の意見」を求めること)を東京に受診しに行くように説得し、父も納得してくれました。
ところが翌日、主治医のドクターに延期を伝えに行った父から、一転し、予定通り手術になったという連絡がありました。理由は「手術にあたって、多くのドクター、スタッフがスケジュール調整されており、皆に迷惑がかかる」「今回、手術せずに退院となると、今後体調が悪化し入院の必要性が発生しても、対応してくれない」から、ということでした。父は「俺が決めたことだから」と電話を切りました。
<実はいきあたりばったりの治療に愕然>
9時間におよぶ、大手術の数日後から抗がん剤治療が始まり、みるみる父は衰弱しました。寝たきり同然の状態まで体力が衰えると、一旦、抗がん剤の治療は中止され、少し回復すると、前回と違う抗がん剤の投与が繰り返されました。この頃から治療方法に疑問を感じた私は、主治医のドクターに会い、話を聞いて愕然としました。
父から「主治医には、すべてありのままの説明を希望した」と聞き、理解している内容と全然違っていたからです。がんのステージ(現状)、手術後の生存率(対策後の効果予測)、抗がん剤の効果と副作用・・・そして、いきあたりばったりの治療方法、最後には「私にも(どうなるか)わからない」の一言・・・。その矢先に「肝臓にも転移している(ようです)。他の治療方法はないから、抗がん剤しかありません」と言われました。
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