原子力発電所の元作業員、梅田隆亮さん=福岡市=が心筋梗塞になったのは被曝によるものだとして、労災認定申請を却下した国の処分取り消しを求めた裁判が提訴から2周年を迎え、裁判が大きな山場に差しかかった。
2月26日、福岡地裁(山口光司裁判長)で開かれた口頭弁論で、原告側は原告本人尋問の早期実施を求めた。国側は、異論を述べず、原告が働いていた当時の現場の監督か放射線管理員の証人申請、専門家の陳述書提出を検討中と表明。国側の書面提出(3月末締め切り)を待って、4月15日、立証の全体計画について進行協議を開くことが決まった。次回の進行協議で、原告本人尋問の実施時期などが決まる見込みで、その後、今年半ばから後半にかけて原告・被告双方の専門家証人の尋問に入っていくとみられる。
梅田さんは1979年、島根原発、敦賀原発の定期検査作業に従事し、鼻血や原因不明の吐き気、全身倦怠感に見舞われた。2000年、急性心筋梗塞を発症。79年に長崎大学病院でホールボディカウンター(体内にある放射性物質を計測する機械)の測定を受けていたことがわかり、2008年に同病院を受診し、労災申請をしたが、国が支給しないと決定。不支給とした国の処分取り消しを求めている。梅田さんの被曝線量について、国側は会社の記録などから8.6mSv(ミリシーベルト)として、その被曝線量では心筋梗塞との因果関係を否定。原告側は、フィルムバッジ(外部被曝線量を測定するための線量計の1つ)のすり替えなど被曝線量隠しがあり、実際の被曝線量は8.6mSvにとどまらないとしている。
梅田さんは提訴2周年にあたって、「原発での被曝は、一過性のけがではなく長期にわたって人体に影響が出ることを警鐘し、作業員の安全を図るために活かしてほしい」と述べた。
原告・支援者は口頭弁論後、福岡市内で提訴2周年集会を開いた。原発銀座と言われる敦賀市などで原発作業員の診療に携わってきた医師の平野治和氏(光陽生協病院院長)が記念講演を行なった。
平野治和氏は、原発作業経験者の診療に携わりながら、甲状腺がん調査、ヨウ素剤普及活動をしてきた。講演では、「被曝による発がんリスクを示す最低線量は年々下がっている」として、「1950年代には年間1,000mSvだったのが、現在では50mSvと言われており、もはや100mSvではない」と指摘。英・仏の原発労働者(平均25mSv以下)で発がんリスク、白血病リスクが増加するという調査結果を示して、「50mSv以下でも発がんリスクがある」と述べた。また、80年代に膨大な原発作業員から聞き取り調査した別の研究者の資料を示して、下請け労働者と被曝労働の実態を明らかにした。
最後に、放射線障害と心筋梗塞、循環器障害の関係について、「放射線が循環器疾患リスクであることは確立しており、どのくらいの線量かどうかはまだ研究途上だが、500mSv以下の被曝による心疾患の増加を肯定する論文が出ている」と指摘し、「低線量でのリスクを肯定する論文は今後増加するだろう」との見通しを述べた。
集会では、支える会の石村善治共同代表(憲法学者)が、「憲法の原点からも、戦争に反対する点からも、生存権からも、原発というのは人間と共存できるものではない」と述べ、「この裁判を拠点として、日本全体で、原発反対、原発労働者の権利を守り、原発労働者の被害に国・電力会社に責任を持つようにたたかいを進めていきたい」と呼びかけた。
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