企業・人再生シリーズ(42)
侵略してフランス人が恨まれない理由(前)
<1900年アセアンは西洋帝国列強の植民地>
「どうしてフランス人が170年間ラオスだけでなく、インドシナ3国(ラオス・ベトナム・カンボジア)を侵略して恨まれないのか?」と不思議であった。中国・韓国らは、日本の侵略行為を目の敵にして批判の展開を行なっている。ただし、同じように植民地経営を行なってきた台湾からは、正面切った批判は聞かれない。植民地政策には『良い統治』と『悪い統治』というのがあるのだろうか。
もう一度、インドシナ半島の地図を参照されたし。20世紀のスタートの年、1900年に立ち返って地図を思い浮かべよう。インド・パキスタン・バングラディシュ、ビルマ(現在のミャンマー)、マレーシアは、英国の配下として植民地・属国になり下がっていた。「英国に負けじ」と対抗して、フランスはインドシナ3国を支配下に置いたのだ。タイは列強の思惑とバランスで、王国として独立を許されたのに過ぎない。加えること、インドネシアはオランダが統治している。フィリピンは1900年に、スペインからアメリカの傘下に入った。まさしく現在のASEAN地区は、すべて西洋列強に支配されていたのだ。
明治維新の日本主体の歴史は、中国・満州・朝鮮半島に限定されたエリアでしか語られていない。この地区にロシアが南下している。「日本の存亡にかかわる非常事態だ」と日露戦争を已む無く仕掛ける。相手国の革命内乱も手伝って、日本は漸く勝利を手にした。しかし、ロシアの南下政策の背景にも考慮しなければならない。「ASEAN(東南アジア)は英国・フランスに奪われた。我が国は東アジアを制圧しよう」というロシア皇帝の野望だったのであろう。野望というよりも、当時の帝国列強の常識的な発想と行動パターンだったのだ。
<立場が変われば解放者>
1904年、日露戦争の勝利者になった日本は、『3周遅れの後発帝国主義者』の地位を築いた。そこから後世に、『良い統治の台湾・恨まれる統治の満州・朝鮮半島』という評価が定まった統治経営をなしてきた。だが、この『良い・悪い』の評価も、立場によっては根本から変わる。「ASEAN各国が親日」と呼ばれるのは、第二次世界大戦において3年足らずであれ日本がフランスの支配を打ち壊してくれた実績があったからである。
インドネシアが顕著な例になる。250年続いたオランダの統治を、日本軍が砕いてくれた。そして1945年8月、日本が敗北し、支配者としてリターンしてきたオランダと独立戦争が勃発したのである。当時、インドネシアには日本軍残余兵が10万~15万人いたと言われる。この残余兵・将校のなかから、インドネシア独立戦争に身を投じた者たちが数多くいたそうだ。この実績こそが、インドネシアを最大の親日国家にさせた要因なのだ。
ASEAN、インドネシアの現地の方々から見れば、『日本軍は解放者』となり、フランス・オランダと征服・利権収奪者からみると『日本軍は侵略者』となるのである。立場が変われば、評価がサカサマになるのは世の常だ。
ところでラオスに、かつての侵略者であるフランスの人たちが、どうして10万人もリゾート滞在できるのかを探ってみよう。
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