NET-IBでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は、生活の党の小沢一郎代表が語った日本政治の再刷新の見通しを紹介しながら、その実現の条件を説いた3月6日の記事を紹介する。
昨日3月5日午後4時から、生活の党前衆議院議員で作家でもある松崎哲久氏の新著『リーダーのための歴史に学ぶ決断の技術』(朝日新書)の出版を記念して特別講演会が東京有楽町の日本海外特派員協会で開催された。
多くのジャーナリスト、関係者、市民が参加して盛況裏に開催された。特別ゲストとして生活の党代表の小沢一郎衆議院議員が登壇され、特別講演を行った。その後、松崎哲久氏とトークセッションを行った。
小沢一郎氏は日本における政治刷新・変革・革命実現の難しさを説き、歴史上の大変革についての私見を披歴した。
日本では、変革者が嫌われる。日本人の感性、特性のなせる業であるが、日本人は基本的に変革を好まない。大胆な変革を実現しようとする者は嫌われ、排斥される傾向が強い、しかし、そうした抵抗を排除して突き進まねば変革は実現しない。
小沢氏は、日本の歴史上、三つの大変革があったとの認識を示した。
第一の変革は大化の改新。これを実行したのは天智天皇だった。豪族が支配する日本を天皇が支配する国に変え、律令体制を整えた。しかし、天智天皇は一般に評判がよくない。大胆に変革を進める者は、日本において、総じて良い評価を得ないものだ、
第二の変革は織田信長。織田信長が実行した行為のひとつに叡山焼き討ちというのがある。比叡山延暦寺を焼き払い、僧侶を皆殺しにした。非情の政治、冷酷な政治との悪評が付きまとうが、当時の叡山は腐敗し切っていた。その腐敗を断ち切るために、非常とも言える行為に打って出た。また、信長は戦に鉄砲を用いたが、使用にあたって鉄砲を装備した大軍を整備し、鉄砲による連続攻撃を行った。鉄砲発祥の地である欧州でも見られなかった使用術を編み出し、大胆に実行した。あのまま、信長が暗殺されずに生きながらえたなら、日本の歴史はまた違ったものになったと思われる。
第三の変革は明治維新だ。世間には明治維新を高く評価しない論評もあるが、それは間違いだ。幕藩体制を刷新して中央集権の強力な官僚主導国家を構築した。革命という名に値する大事業であった。この明治維新を実現した主役は、やはり大久保利通である。大久保は同郷の西郷を倒し、また、江藤新平を晒し首にしたことなどで、やはり悪評を立てられてきたが、それでも、大久保が成し遂げた功績は大きい。
こうした「変革者」に対する風当たりは強い。それが日本の風土なのであろう。
しかし、そうした反発をも押しのけて突き進まない限り、本当の変革、革命を成し遂げることはできないと思う、
小沢一郎氏の基調講演を受けて松崎哲久氏は、小沢氏に「非情のリーダー」についての質問を投げかけた。
松崎氏「小沢氏は変革を実現する人物に共通する属性として「非情の人物」をあげられるが、小沢氏についての印象は「情の人」というものである。この点についてはどのように考えられているか。」
小沢氏「自分はどちらかというと、情に掉さして流されてしまうタイプの人間だと感じている。しかし、政治の世界に情を持ち込めば必ず失敗すると思う。情に引きずられて、なあなあでやってしまうことが一番よろしくない。とりわけ、人事を「情」でやってはいけないと思う」
私も特別講演を聴講させていただき、質問をさせていただいた。小沢一郎氏からは、日本政治の再刷新について、明快な見通しと意欲を聞かせていただいた。
小沢氏は、もう一度、政権交代がどうしても必要であること。そのために、新たに政権を担う側が一本化して対応することの重要性を強調された。その上で、2015年春に予定される統一地方選が、まずは、ひとつの目標になるとの見解が示された。歴史に学び、現実を分析し、果敢に行動して、変革を実現する。このプロセスの実践が重要である。
※続きは、メルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」第807号「日本政治再刷新に向け年内に大同団結体制を構築」で。
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