中村精七郎は、明治5年長崎県平戸の生まれ。福沢諭吉の「学問のすすめ」の「一身独立して一国独立す」「独立の気力なき者、国を思うこと深切ならず」に感銘を受け、新天地開拓の夢を持ち、実兄が活躍する北海道に渡ったのが12歳のとき。さらに18歳の頃には南米移住を決意し、単身南米を目指し、その途上サンフランシスコで勉学と資金確保に努力する。しかし、無理がたたって病に陥り、帰国のやむなきに至った。
帰国後、健康を回復した精七郎は海運業に従事し、日清日露戦争時には国の軍需物資の輸送陸揚げなどに携わり、明治38年に中村組を創設した。大正3年、第一次世界大戦の勃発により、船価・運賃は暴騰し、造船業・海運業は未曾有の活況を呈し精七郎も巨額な富を得た。
精七郎は、その富をいろいろな社会的事業に投入している。博多湾築港事業はその柱であるが、そのほかにも、博多港~筑豊炭田を結ぶ鉄道建設の計画、関門海底鉄道建設のための研究所の設立、朝鮮での植林事業などを行なっている。
また、博多湾築港株式会社の社長を務める一方、大正7年、中村組の子会社として徳山海軍燃料廠納め無煙炭、官営八幡製鉄所納め鉄鉱石荷役のため、港運業「山九運輸」(現在の山九(株))を創設した。その山九は、2008年10月に創立90周年を迎えている。
「亜細亜大陸貿易上の呑吐口」を目指した精七郎たちの夢は、約百年の年月を経て今、40カ国を超える世界の国々とコンテナ航路が結ばれ、年間70万TEU余の国際コンテナを取り扱い、年間約84万人(平成20年)の外国旅客が利用するアジアの交流拠点として、次のステップに入ろうとしている。
紹介した書籍は08年3月に(株)ウエイツ社から発行された「みなとの偉人たち 時代への挑戦・海からの挑戦」のなかの一文である。これは05年6月から(社)日本港湾協会の機関誌「港湾」に連載掲載された「みなとの偉人たち」を1冊に纏めたもので、平清盛から始まり、湊・港に関わった26名の偉人と補遺から構成されている。
このなかの「タライのような港からの市井の人たちの挑戦~中村精七郎」を執筆した久米秀俊氏は、旧運輸省に入省。05~06年の福岡市港湾局勤務時、博多港の整備振興に尽力されるとともに、博多港築港の歴史を研究するなか、博多湾築港(株)設立に私財300万円を投げ打った中村精七郎に興味を持ち、「中村精七郎伝」「山九社史」「博多港史」等々から「みなとの偉人たち 中村精七郎」に取り纏めたものである。近代博多港の歴史を振り返る際に、非常に興味深い書である。ご一読をお奨めしたい。
私は1966年に大学卒業とともに、精七郎から数えて3代目の中村健二社長時に、山九運輸機工(株)(現在の山九)に入社した。そして39年後の05年に縁あって(社)福岡貿易会に勤務することとなり。微力ながら福岡地域の貿易振興、国際化促進、博多港振興に力を注いでいる。
≪ (前) |
※記事へのご意見はこちら