<小倉中心部のまちあるき-3->
2013年10月5・6日に北九州市小倉北区の北九州国際会議場で開催された「第3回日本まちあるきフォーラムIN北九州」での第1分科会は、「都市型まち歩きが目指すものは?北九州タウンツーリズムの活動内容の紹介(ミニレクチャー)と、北九州市の中心市街地である小倉駅周辺の商店街を活かしたまち歩きを体験します」との触れ込みで開始されました。
引き続き北九州タウンツーリズムによる小倉のまち歩きの報告です。
関門海峡の美味しいタコ料理を食べた後は、旧小倉県庁跡の見学です。近代的な建物のリバーウォーク北九州の反対側に位置する、北側にひっそりとその跡がありました。私もこれは知りませんでしたが、明治初期の頃にはここに小倉県庁があったようですね。
小笠原藩は、1871(明治4)年の廃藩置県により、小倉県となるのですが、その拠点がここにあったのです。今も昔も小倉の拠点です。そして、1876(明治9)年に、小倉県は福岡県に併合されます。現在、この近くには、レトロな建物もちらほら。超近代的な建物のリバーウォークとのコントラストが見事です。
次いで、紫川に架かる勝山橋を通って魚町銀天街のエコルーフの見学です。この連載のはじめの頃にも紹介しましたが、国の補助事業を使って、分断された商店街を国道上につないだ雨よけルーフで、環境首都北九州市らしくルーフの上に太陽光発電パネルを設置し、照明の電力を自前で調達しているのです。
その下には、「銀天街発祥の地」の碑も。よく知られた話ですが、1951(昭和26)年に日本で初めて公道上にアーケードが架けられたのがこの魚町銀天街です。今も昔も北九州、小倉の最も賑やかな商店街ですが、一時郊外のショッピングセンターなどの影響もあって集客量が減少していまいした。
しかし、国の中心市街地活性化策によって徐々に集客量を取り戻しつつあります。私の子どもの頃には、人通りがすごく肩と肩を触れ合わせずには歩けないほどの商店街でした。そのような往年の活気を取り戻すのは大変困難と思えますが、今後、各種取り組みによって北九州・小倉ならではの、他の商業施設にない魅力を発揮してほしいものです。
(株)地域マーケティング研究所
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和歌山大学産学連携・研究支援センター客員教授、観光学部フェロー
西日本工業大学デザイン学部非常勤講師
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