<人生最良の日だった11月の結婚式>
後山顧問は職務権限という法的根拠がないことで助かった。件数10件、総額9,908万7,787円の発注に関わった不正疑惑追及に一瞬、怯んだ同氏も戦線を立て直した。立て直したというよりも益々、世の中を舐めるようになった。何よりも福岡市顧問の肩書に更に魂胆を持った連中が近づきその数は増加したからである。東京では『福岡市顧問』の名刺で動き廻った。
『広報戦略アドバイザー』の肩書を得てから2013年秋までの3年間は、後山氏の人生の絶好調期。そして人生最大の晴れ舞台だったろう。
13年11月、後山氏は結婚披露宴を行なった。顔ぶれが凄い。もちろん、盟友・高島宗一郎市長も参加してくれた。各方面の錚々たるメンバーが出席してくれているのだ。一部には「あれー、どうしてこの人が出るのかしら?」と首を捻ってしまう方の名前も見かける(後山氏にはあまり面識のない紳士たち)。だが大半は『福岡市顧問』のポストに魅了された方々が大半であったが――。
ともかく、後山氏の御家族は感極まったであろう。泰一氏の実父が不慮の事故で急逝された以降、不遇続きであった。加えること、家業の日本食品が倒産した。泰一氏の関係から言えば祖父にあたる傑物がこの会社を立ち上げ隆々経営を展開した。おかげで後山一族は名門の誉れを確立したのだ。だが倒産の憂き目になれば一族はどん底へ転落する運命となる。
その経緯はさて置き、13年11月、泰一氏の結婚披露宴で、御家族は300人を超える参加者の数に圧倒されたことであろう。また出席者メンバーを見て「これだけの大物のお歴々が不肖の息子・泰一のために参加してくれた」と感激し号泣したに違いない。身内から「泰一!!でかしたぞ!!」と喝采を浴びた。この日は泰一氏だけでなく後山一族全体にとっての晴れの舞台であったのだ。名門復活が眼の前に実現しようとしていたのである。ところがだ。暗雲が漂い始めた――。
<自力で切り開け!!>
2月の中頃からである。高島市政の幹部たちの「広報戦略アドバイザーの廃止」の画策根回しの動きが漏れ始めてきた。つまり高島市長の友・後山泰一氏の福岡市顧問のポスト剥奪である。高島市長は元々、この「広報戦略アドバイザー導入」の意義づけも明確に語らずにいた(『有能な後山氏の能力を活かすため』と本音を語れば良いものを!!)。今度は後山氏放逐のために理由を不問にしてこのポストの廃止することを決定したのだ。高島市長の行き当たりばったりの組織運営手法が露骨に表れている。己にとって福岡市権力は玩具なのか!!
人材活用も行き当たりばったり!!用済みは非情に斬り捲っていく。2年間、献身的につかえた山崎・渡邊両副市長を駆除した。前例にない仕打ちだ。この人事仕打ちをみると「高島宗一郎という人物には血が通っていないのか」という疑念が湧いてくる。その延長上に「危うい」と感じて後山顧問のポスト剥奪を決断した。
泰一さん!!貴方には『ファクト・後山泰一』という看板がある。福岡市顧問の肩書がなくても充分に社会に通用する。使い捨てされた腹いせを仕事の実績で高島宗一郎氏に叩きつけることを望む。
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