西日本鉄道(株)(西鉄)
企業80社と学校法人1校を持つグループの核となる上場企業である西日本鉄道(株)。事業目的は鉄道および自動車による運送事業、海上運送事業、利用運送事業、航空運送代理店業、通関業、不動産の売買および賃貸業、遊園地・植物園等の経営と多岐にわたる。福岡を代表するグループは、福岡とともに成長していったといっても過言でない。しかし、主軸の運輸事業は低迷しており、思い切った転換も求められている。今回は本業を中心に検証してみる。
<かつては球団も保有していた、地場最大級のグループ企業>
西日本鉄道(株)は九州最大級のバス・鉄道運営を持つ企業である。その歴史は古く、明治時代まで遡ることができる。まず始まりは、同社の前身である九州電気軌道(株)が、1908(明治41)年12月17日、小倉市において資本金100万円で発足したのが同社業歴の祖となっている。
そして事業の始まりとして1910(明治43)年に福博電気軌道が大学前~西公園、呉服町~博多間の運輸営業を開始。翌1911(明治44)年6月、現在の北九州市門司区東本町から八幡東区大蔵川までの18.3kmが運輸営業を開始する。そのときの運賃は1区間3銭であった。その他の文献で調べると、当時の1銭は現在の100円近い価値があったとされ、1区間3銭は現在の300円ほどだったようだ。現在の西鉄大牟田線の西鉄福岡~薬院間の一区間の運賃が150円だから、やや高めの運賃だったのではなかろうか。
九州電気軌道をはじめとして九州鉄道、博多湾鉄道汽船、福博電車、筑前参宮鉄道も運輸事業を確立させ当時の福岡地区のインフラに寄与していった。
折りしも1942年9月、当時の日本は戦争状態であり、この戦時体制に対応するための交通事業統合政策がなされた。前述した九州電気軌道と九州鉄道・博多湾鉄道汽船・福博電車・筑前参宮鉄道の5社が合併し、資本金5,000万円において同社が誕生。福岡市西新町に本社を置いた。翌1943年から44年にかけては、福岡県下のバス会社を統合し、現在の事業基盤が確立された。
ちなみに43年2月にプロ野球球団「西鉄軍」を誕生させ、かつての常勝軍団であった「西鉄ライオンズ」を生むことになった。戦後、事業の拡大路線で同社を核としたグループは成長を遂げ、49年5月に大阪証券取引所、東京証券取引所に株式を上場。翌月福岡証券取引所に株式を上場した。
57年8月に、福岡タクシー(株)(現在の福岡西鉄タクシー(株))を設立してタクシー事業に参加。同年10月には長距離特急バス運行開始(福岡~門司間)。61年11月に大牟田線、福岡駅高架建設工事竣工、新駅営業開始など、挙げればキリがないほどの地域に根付いた事業拡張がなされた。
2013年3月期での西鉄グループ全体の売上高は3,383億円、経常利益は1,618億円の利益を計上し、福岡経済界に君臨するとされる"七社会"に名前を連ねるなど、同グループの影響力は高い。日本最大規模である自動車部門は営業キロ数3,995.2kmと天神大牟田線・貝塚線の2線を有する鉄道部門は106.1kmであり、1日に100万人を超える人員を輸送している。また、航空貨物事業・都市開発事業・住宅事業などの兼業部門も順調な発展を遂げており、他社への出向者等は除く従業員数は4,126人。グループ会社は同社を含む80社1学校法人に上る(13年7月1日現在)。
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<COMPANY INFORMATION>
西日本鉄道(株)(西鉄)
代 表:倉富 純男
所在地:福岡市中央区天神1-11-17
設 立:1908年12月
資本金:261億5,729万円
売上高:(13/3連結)3,383億円
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