――先生もキャラクターグッズのファンとお聞きしています。
青木 私は広告会社を退職してすぐ、2013年までの8年間、同志社大学に勤務するため、京都に単身赴任しました。その時は大好きなキャラクター「リラックマ」や「快獣ブースカ」に慰められ、頑張ることができました。しかし、実はこのことは、「キャラクター」の生い立ちを考えると、ごく自然の事なのです。
<人間は自然界では、非情に弱い存在である>
――そもそもキャラクターとは何であるかを教えて頂けますか。
青木 人間は自然界では非常に弱い存在です。道具がなければ狩りもできない。毛が生えていないので、寒さにも弱い。自然に対して働きかけ、環境を変えていかないと生きていけない特殊な動物です。太古の人間にとって自然は、水や食料を与えてくれる慈悲深い母のような存在でしたが、一方で天災や天敵が突然襲ってきて無慈悲に命を奪っていく、まるで悪魔のような存在でもありました。そういうわけのわからない、あまりにも大きすぎる世界を理解するために人間があみだしたのが神であり、神話であり、原始宗教です。それによって自分たちが生きている世界を秩序だった意味あるものとして理解していったのです。キャラクターに使われるもので多いのは、犬や熊やアヒルと言った動物です。動物や植物をシンボル、何かを象徴する記号として利用することは神話の時代からあったわけです。
現代の私たちを考えてみましょう。人間は必ず死にます。どんなに偉くても、どんなに能力があっても、どんなに健康であっても必ず死にます。愛している人、とても大切で失いたくない人でも、自分より先に死んだら看取ることになります。これは理不尽なことです。人間はなぜ生まれてきて、なぜ死んでいかなければならないのか。
自分の一生が空虚で無意味ものであったという考え方から逃れたい一心で、人間は、架空の人格である「神様」をつくりました。その神様が自分を好いてくれれば、幸せな人生を送ることができる。たとえ、試練を与えられても、ひどい目にあってもきっと何か意味があると考えることができたわけです。
<癒し、自分を守ってくれるのがキャラクター>
青木 昔は直接神様を、またウサギや鹿などの動物を神様のお使いとして崇めていました。ところが、現代の私たちは神様を直接はもちろん、ウサギや鹿を崇める習慣もほとんどありません。そうすると、現代人はこの理不尽な深い闇から抜け出すことができない。孤独で怖いのです。
そこで、現代人はこれに代わる色々な仕掛けを考えました。たとえば、TVの娯楽番組を見て「笑っている瞬間」とか、友達と酒を飲んで「酔っぱらって騒ぐ瞬間」などに安らぎを得るわけです。それらのなかの1つとしてキャラクターが存在します。現代社会のすさまじいストレス、それを癒し、自分を守ってくれるものがキャラクターなのです。神様、守り神、お地蔵様の現代的な形態とも言えます。キャラクター製品愛好者がしばしば信者という言葉で呼ばれているわけもそこにあります。
<キムタクの先輩が熊でありウサギであり草木>
――最近、広告にセレブの男優、女優の代わりに、キャラクターを使う企業が増えています。なぜですか。ソフトバンクの「白い犬」とか、アフラックの「アヒルと猫」、ダイハツのカクカクシカジカの「鹿」などが成功例になっています。
青木 その考えは逆です。セレブが昔からある山、川、岩や動植物などの神様キャラクターの現代的な一姿なのです。あくまでも、神様キャラクターが先です。たとえば、キムタクの先輩が、神様というキャラクターとして崇められていた熊であり、ウサギであり、草木であり、岩なのです。
昔からある伝統企業のシンボルマークもキャラクターが多く使われています。たとえば、キリンは中国の神話に出てくる麒麟、象印は動物の象、タイガーは虎がシンボルマークとなっています。
<プロフィール>
青木 貞茂 (あおき さだしげ)
1956年長野県生まれ。法政大学社会学部教授。専門は広告論、ブランド論。立教大学経済学部卒業後、広告会社勤務を経て同志社大学社会学部教授等を歴任。著書に『文脈創造のマーケティング』、『文化の力』、共訳書にレイモア『隠された神話』がある。新刊『キャラクター・パワー』(NHK出版新書)が2月10日に発売された。
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