安倍晋三首相は3月14日の参議院予算委員会で、従軍慰安婦への旧日本軍の関与を認めて謝罪した1993年の「河野談話」について、「安倍内閣で見直すことは考えていない。歴史に対して我々は謙虚でなければならない」と答弁した。これを私たちはどう見るべきか。
<「河野談話」見直しを否定した安倍首相>
「河野談話」の見直しを主張してきた産経新聞は、3月15日紙面で「政府の珍説にはあきれる」と論評し、「安倍晋三首相の政治理念までもが色あせるし、国際社会で無用の侮りを招く」と糾弾した。しかし、客観的に見ると、外交評論家の天木直人氏(元レバノン大使)が指摘するように、「これで勝負あった。河野談話をめぐる安倍首相と朴大統領の攻防は、安倍首相の敗北に終わったということだ」と評価するのが正しいだろう。どうして、こういうことになったのか?
読売新聞の社説(19日付け)は、「あえて河野談話の見直しを封印したのは、日米韓首脳会談を実現するための環境整備を優先し、談話見直しに反発する韓国側に配慮するという大局的な政治判断をした」と評価したが、やや苦しい解釈だ。
「河野談話」をめぐる安倍政権の対応は、第1次政権と第2次政権とでは、かなりの変化を見せていた。韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権は、その矛盾を突き、まんまと成功したと言える。
第1次政権では「(韓国で日本の官憲による)強制連行の証拠は見つかっていない」としていたが、第2次政権になると(実際には第1次政権後期から)、「河野談話を継承」する方向に変化していた。しかし、産経の取材で「日韓合作の談話」疑惑が浮上し、談話当時の石原信雄・官房副長官が国会で「慰安婦の証言に裏付けがとれていない」と言明すると、政府と日本政界は「談話再検証」の方向に動いていたのである。
もちろん「河野談話」自身は、杜撰な調査と日韓野合の記述のアマルガムである。そのことには異論を待たない。だが、慰安婦問題のポイントは、もともと「強制だったか」「自発的だったか」に、あったのではない。総体として、従軍慰安婦制度に当時の日本軍(日本政府)の関与があったかどうかがポイントであり、それは「関与があった」と言うしかないのである。慰安婦問題が政治イシュー化した1990年代初めから、それは明らかな事実だった。だから安倍首相が国会で「筆舌に尽くしがたいつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む。この点についての思いは、私も歴代総理と変わりない」と述べたのは、従来の日本政府の方針通りの発言であり、とくに目新しいものではない。
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<プロフィール>
下川 正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員、韓国外国語大学客員教授を歴任。2007年4月から大分県立芸術文化短期大学教授(マスメディア論、現代韓国論)。
メールアドレス:simokawa@cba.att.ne.jp
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