博多座(福岡市博多区、芦塚日出美社長)は今年開場15周年を迎える。これを記念して4月6日から29日まで「武田鉄矢・前川清特別公演」が、博多座で行なわれている。4日に行なわれた記者会見で、武田氏と前川氏は「お客様の反応が舞台を創る」と記者団に語った。これを受けてNET-IBでは、通し稽古と本番を比較し、「お客様と創る舞台」の魅力を探っていく。
<六兵衛は本当に弱虫なのか>
4月10日、夜の部の舞台を観た。
第1部、「鷹と雀のものがたり」は、タイトルからも鷹と雀、つまり剛と軟のドラマであることがわかる。剛は武田鉄矢氏が演じる一流剣士・仁藤昂軒。「筑波の鷹」と呼ばれるつわものだ。軟は前川清氏が演じる臆病侍・双子六兵衛。「田んぼの雀」と呼ばれる軟弱者である。
舞台は福井藩。藩剣術指南役の昂軒が、御側御用係を斬り殺したことから物語は始まる。その御側御用係が藩主の妾の実兄であったことから上意討ちが発令され、昂軒を成敗するにはもっとも不適任な男、六兵衛が重務を担ってしまう羽目になる。それというのも遠くから聞こえる犬を威嚇するため石を投げつけようとして振り上げた腕を「手を挙げて志願した」と受け取られてしまったというのだから情けない。
ただし六兵衛が本当に剣術の腕も根性もない甲斐性なしの男だったとしたら、物語は動かない。いみじくもこう言った人がいる。「でも本当に弱虫だったら、上意討ちに出る前に遁走しますよ」。実にそのとおり。人と言うのは決してベニヤ板に描かれた絵のように平面的な存在ではない。弱虫だと揶揄されているからといって、それが当人の本質だとは限らない。
<意志が強いからこそ変われない昂軒>
光の当てようによって、解釈の仕様によって、接する人によって引き出されるものによって、幾通りもの"意外な"反応を見せてくれる、それが人間というものだ。この"人間"を見ることこそが、「鷹と雀のものがたり」の醍醐味であろう。
しかし剛毅な人物設定の昂軒は、意志が強いがゆえにしっかりとした己を持ち、そうおいそれと意外な反応を見せる人物ではない。また、とある理由で人の目に映る自分の印象が変わることを恐れている面がある。それがあくまでも舞台上の演技に徹し、己の立場を乱さない武田氏の演技に繋がっていく。
一方、柔軟な六兵衛は人と会うたびに己の意外な面を直にあらわにしていく。それが舞台から自由にはみ出し、観客と交わることで舞台に彩りを添えていくという前川氏の演技に繋がっていく。
六兵衛は、軟弱という短所を、柔軟という長所に変えることによって、案山子を見ても恐れる田んぼの雀から脱皮し、昂軒と対等に立つようになる。その六兵衛の影響を受けて、昂軒も頑なな態度を変えていく。たしかに昂軒演じる武田氏が六兵衛演じる前川氏同様に舞台からはみ出していってしまっては、「舞台が汚れる」(武田氏)ことになるだろう。昂軒の妙は、六兵衛のやわからさに接することによって解きほぐされていくところにあるのだから。
<人と接することで変わっていける六兵衛>
六兵衛の場合はかなり弱々しい男で周囲に翻弄されっぱなしだが、この男ならではの、ある美点が一本心身をすっと貫いているようなところがある。この美点が人々に認識されていくにつれて、六兵衛の印象と物語上の役割は変化していく。六兵衛のように、人に気兼ねしすぎて自力では魅力を発揮できない人物は、多くの人のなかから自分を評価してくれる人の声を聞きとり、心に落としていくことによって、大きく開花していくものだ。六兵衛も、昂軒以外や他の登場人物と接することで魅力を増す。そして舞台を降りて観客と接し、観客からの声に応えることでも魅力が引き出されていく人物なのだ。
ここに「鷹と雀のものがたり」を、観客とともに作り上げていきたいと願った武田氏と前川氏の思いがあるように思った。
■博多座開場15周年記念「武田鉄矢・前川清 特別公演」
<日 時>
4月6日(日)~29日(祝)
昼の部:午前11時~/夜の部:午後4時~
<場 所>
博多座
<観劇料(税込)>
A席:14,000円/特B席:10,000円/B席:7,000円/C席:4,000円
<演 目>
第1部:鷹と雀のものがたり
第2部:前川清と海援隊+1オン・ステージ
※第2部のみの鑑賞もあり
<制作>
博多座
<チケットに関するお問い合せ>
博多座電話予約センター(午前10時~午後6時)
TEL:092-263-5555
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