<日本一の称号 あべのハルカス>
大阪市・阿倍野地区の中心にグランドオープンした『あべのハルカス』は、近鉄南大阪線の発着駅の大阪阿部野橋駅と直結した超高層複合型施設である。百貨店の売場面積が約10万m2、美術館、オフィス、ホテル、展望台と近鉄大阪阿部野橋駅が備わった地下2階、地上60階の立体都市が生まれたのである。
事業主の、近畿日本鉄道株式会社(以下近鉄)が建設した、敷地面積約2万8,700m2、延べ床面積約30万6,000m2、面積もさることながらその建物の高さが300mと、ビルとして日本一の規模である。
長年近隣に居住した筆者は、大きな衝撃を受けた。もちろん良い意味の衝撃である。率直な感想として、下町の風情が強かった阿倍野地区に、日本一の称号を得た施設が出来るとは夢にも思わなかった。大阪の商業地の中核である『キタ・ミナミ』に匹敵する街に進化していくことを確信した。
以前では想像がつかない光景、所狭しと人々の往来する姿がそこにはあった。多数の老若男女の人々が、平日の昼間に、『あべのハルカス』を中心とした同地区を訪れていた。次の平日も同様で、土曜日の午前9時30分ごろ、『あべのハルカス』前には、10時の開店時刻を待つ多数の人々がいたのである。旧近鉄百貨店の時では、大きな催し物やイベントなどの初日以外では見られない光景であった。
<庶民派百貨店「あべきん」の大変身>
『あべのハルカス』新設の経緯は、旧近鉄百貨店阿倍野本店の老朽化対策が発端にあった。旧店舗は、1937年(昭和12年)の開業以来、大阪市および大阪府南部を商圏の中心にして、地元密着型の百貨店として親しまれてきた。近鉄南大阪線の起点と直結していたこと、また百貨店業中では大衆向きの店舗構成であったことから、「あべきん」の通称で、庶民派の百貨店として愛されてきた。2006年秋ごろから、同店が、開業から70年経過し建物の老朽化が課題となっていた。
さらには、「キタ・ミナミ」の同業他社のリニューアル、増床、新規出店の計画が次々と打ち出され、同業他者との競争に勝つための再開発および整備計画が急務となった。
07年3月、航空法の規制緩和により300mの超高層ビル建築が可能となり、同社が翌8月、「阿部野橋ターミナルビル整備計画」を発表した。同年11月に対象となる阿倍野地区が、大阪市の「都市再生特別地区」の都市計画が決定。その決定で容積率の緩和などが後押しとなり、ダイナミックで先進的な都市機能を集結させたプロジェクトが実現できることとなった。
ビルの名称が『あべのハルカス』と決定したのは、11年8月。ハルカスの由来は、伊勢物語のなかで用いられている言葉だ。 "晴れ晴れとさせる"という意味の「晴るかす」から取ったものだ。来客者に大阪を一望できる複合型施設で心ゆくまで楽しんでいただきたいという思いが込められている。
13年6月13日近鉄百貨店阿倍野本店から「あべのハルカス近鉄本店」に店舗名を変えて、先行オープンした。そして、14年3月7日、グランドオープンした。近鉄によるとこのプロジェクトに関わった投資額は、約1,300億円。
『あべのハルカス』によって、阿倍野地区の再開発が本格始動した。
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