4月18日、朝7時のNHKニュースで、「認知症の徘徊から行方不明になった数が、昨年1年間で1万人を越えた」という報道があった。住居から1km圏内で発見されたのが59%、5km圏内が23%、5km圏外で発見されたのが18%だという。意外にも、家からさほど離れていない場所で発見されることが多い。ただ、その発見場所が問題だ。U子さんの場合は、自宅に接するコンクリート塀の奥にあるわずかな隙間で発見された。行方不明となってから7日後で、衰弱死と見られた。
認知症の徘徊には、理由があるという。今から35年ほど昔、まだ「認知症」が「老人ボケ」と呼ばれていた頃、母が入院していた老人病棟では徘徊が横行し、病院から抜け出した患者が病院近くの民家の2階で発見されたことがあった。夕食後、食事介助のために忙しく動き回る看護婦やヘルパーさんの目を盗むように外に出たらしい。担当の看護婦から「徘徊は故郷に帰りたいという理由からなの。故郷は生国の実家でもいいし、一番心に残った場所でもいいの。その場所に行きたいから徘徊を繰り返すのよ」と教えられ、納得したことがある。最近では「会社に行く」という認知症の徘徊も増えたと言われる。
U子さんはアルツハイマー型の認知症で、週4日デイサービスを利用していた。3年前から徘徊の症状が強まり、家の外へ出ることが増えたものの、その都度発見され、家に戻ることができた。一昨年9月のとある夕食時、ほんの少し家族が目を離したすきに外に出た。1週間後、発見されたのは家の近くにある塀と塀の、わずか30cmの隙間だった。水のない用水路の奥で発見された事例もある。
認知症の徘徊行動に詳しい医師によると、認知症は歩行時視野の範囲が狭く、足元ばかり見て歩く。判断能力が衰えるため、次への一歩に躊躇する。交差点では、歩道からいきなり車道を歩く場合も少なくない。行き止まりの狭い場所に入り込んでも、引き返そうという選択肢がなく、奥へ奥へと進み、ついには出られなくなり衰弱死に至る。身近なところで発見された認知症の行方不明者が多いのは、「まさか、あんなところに......」と見落とされる場合が多いからだ。
2012年の1年間で、認知症やその疑いのある人が徘徊などで行方不明になり、警察に届けられた人数が9,607人。行方不明のままの人数が550人。その後死亡が確認されたケースで、死者数が最も多かったのが大阪で26人。次いで愛知の19人、鹿児島の17人、東京の16人、茨城の15人と続く。行方不明のまま未発見者数では、愛媛が19人と最も多く、次いで愛知の17人、兵庫の16人、東京の15人、大阪の14人である。大阪や兵庫の人数が多いのは、家族から通報があれば原則受け入れているからで、のべ通報者数は大阪で2,076人。兵庫で1,146人である。最も少ないのが長崎の7人で、次いで山梨の8人。少ないのは、受け入れ態勢の差が原因と思われ、実際の数はこんなものではないはずだ。行方不明のまま残された家族の心中も穏やかではいられない。「あのとき、もう少し注意していたら......」「早く目が覚めていたら......」と後悔の念に苦しめられる。
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。
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