13日に投開票が行なわれた行橋市選挙区の福岡県議会議員補欠選挙で、無所属の新人・堀大助氏が、現防衛副大臣・武田良太衆議院議員の秘書・小堤千寿氏に競り勝ち、初当選を果たした。行橋市は武田氏の選挙区である福岡11区に含まれており、小堤氏は行橋支部の青年局長を務めていた人物。順当ならば、小堤氏が自民党の公認または推薦を受けてもおかしくはないのだが、今回、自民党福岡県連(会長:松山政司参議院議員)が推薦したのは勝った堀氏。このことに武田氏(11区支部)と同党行橋支部は抗議して小堤氏を推薦。自民党が2つに分かれての選挙となった。
自民党福岡県連と前県連会長・武田氏が、それぞれ異なる候補を擁して対決した行橋市の県議補選は、同党県連内の権力闘争を象徴する出来事だ。約1年前、県連会長という立場で衆院選を戦い抜き、11選挙区中10選挙区(福岡6区は無所属候補が当選し、選挙後に復党)で全員当選という成果へつなげた武田氏は、党にとっての功労者。その武田氏が、わずか1年後に、身内から地盤を脅かされる憂き目にあっているのはなぜか――。
実のところ、武田氏への反発が表面化したのは今回だけではない。武田氏の県連会長時代、いくつかの選挙で立候補者をめぐるトラブルが発生した。まず、2011年4月の福岡県知事選挙。武田県連会長は当初、実力者・蔵内勇夫県議団長に推薦を出していたが、麻生太郎氏が強くプッシュする元経産省OB・小川洋氏にチェンジ。次に、12年12月の総選挙。当初、福岡1区に古賀誠氏の秘書・新開裕司氏の公認申請をする方向で県連(武田氏)は動いていたが、これも麻生氏が党本部に働きかけ、井上貴博福岡県議(当時)に切り替わった。その後の13年5月に行なわれた豊前市・築上郡部の県議補選では、武田氏秘書の西元健氏が自民党公認で初当選したものの、県連は別の元豊前市議を推薦している。そのため西元氏は、いまだ自民党県議団に所属していない。
事は、麻生と武田、両氏の対立というほど単純ではない。両氏は、中選挙区時代に同じ選挙区でしのぎを削った間柄ではあるが、麻生氏には武田氏の強権的な手法への反感があるようだ。そして、『反武田連合』の狼煙は、以前からまことしやかに流れている武田氏の健康不安説がきっかけとなって上がった。行橋市の県議補選では、自民党福岡が推薦する堀氏に、農政連、民主党、市職労もついた。小選挙区への移行で地元・行橋市を離れた山本幸三衆議院議員も堀氏陣営に加わっている。公明党は武田氏側に回ったが惜敗。その差は1,152票である。さまざまな勢力が動いたが、どれか1つが欠けても結果は変わっていただろう。
行橋市を舞台とした自民党内の対立には、もう1つのファクターがある。それは東九州自動車道の開通で、同市を含む福岡県東部エリアの価値が高まったことだ。選挙直前の13年3月26日、苅田北九州空港IC・行橋IC間8.6kmが開通した。反武田の狼煙が上がった行橋市と豊前市・築上郡部への交通アクセスは非常に良くなり、今後の再開発が期待されている。
かつてNET-IBのインタビューに、九州の東回りエリアの発展に資するインフラ整備を重点項目として語っていた武田氏だが、将来への期待の高まりの裏にある"現状への不満"が降りかかったと言える。行橋市は、12年12月の衆院選で、武田氏に惨敗した対立候補(今回、県議補選で当選した堀氏)が、武田氏1万5,501票に対し、1万1,505票と唯一善戦した地域であったことも特筆すべき点だ。「前回(衆院選)は堀氏への支持ではなく、田川出身・武田氏に対する反発が数字になっただけ」と、地元有権者は語る。
国政一強多弱の安定期を迎えている自民党だが、外敵をなくした組織において、権力をめぐるし烈な内部抗争が始まるのは歴史の常。福岡に限らず、今後も各地で同様の闘争が起きるかもしれない。
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