<福岡屈指の大工集団、創業一代で築き上げる>
福岡県太宰府市大佐野に本社を置く(株)伊佐工務店。地元福岡のみならず、九州全土にその名を馳せる大工集団である。創業は1971年6月。鹿児島県出身の池之上和夫氏が福岡にのぼり、池之上組を興したことに始まる。78年に伊佐工務店に改称。「伊佐」の社名に、故郷・鹿児島への感謝の想いが込められた。80年に法人化され、現在に至る。
同社は、大工工事を主な事業にしている。「大工」と言っても、鉋(カンナ)や鑿(ノミ)を握るのではなく、パネルとコンクリートを駆使し、巨大なコンクリート構造物の躯体をつくり上げる「型枠大工」と呼ばれる業態である。今や、主だった施設はすべてコンクリート造りと言っても過言ではない。その中身が鉄骨であろうが鉄筋であろうが、必ずコンクリートが柱となり、壁となって建物を支えている。組みあげたパネルに生コンを流し込んで固めることで、かたちを持たない生コンに構造物としての命を吹き込む仕事――これが型枠大工の役割と言ってもいいだろう。
創業から40余年。当初は地元の建設会社とともに歩んだ同社も、現在では東京や大阪に本社を置く大手筋との取引が多くを占めるようになった。ある大手建設会社は、「九州の仕事はすべて伊佐工務店に任せたい」として全幅の信頼を寄せ、同社もこれに応えるべく、熊本や鹿児島に多くの職人を送っている。もちろん、かつて世話になった地場ゼネコンへの恩義も忘れない。
昨今の職人不足の状況下でも率先して人を割き、これを聞きつけた他のゼネコンが「ぜひうちの現場も」と同社を訪れるケースが後を絶たない。ともすればゼネコンとの上下関係(主従関係)となりかねない専門工事業界において、一代でこれだけのポジションを築き上げた池之上代表の手腕は、周囲から高い評価を得ている。
<技術力に定評あり 要は「知恵」と「情報力」>
創業一代で大きな成長を遂げた同社は、独特の経営手法でも知られている。たとえば、景気の悪いときに同業他社から材料を買い集め、あるいは「職人切り」が横行したときほど職人の雇用を重視した。資材メーカーが新製品を出せば真っ先に購入して活用するなど、職人を束ね、あるいは技術力を高めるための投資は厭わない姿勢を貫いてきた。その動向は、「業界の逆張り」と言っても差し支えない。にもかかわらず、現実に同社は成長を遂げ、豊富なキャッシュに支えられた経営を維持している。
こうした経営手法について、「余計なことをする性分のせいかな」と多くを語らない池之上代表だが、さまざまな目算に支えられた施策であった様子もうかがえる。あるインタビューの席で同氏は、「同業者が潰れ、若い職人が業界に入ってこなかったのですから、仕事が増えれば職人不足になるのは当然です。10年ほど前から予想していたことではあるのですが、『やっぱりこうなったか』との思いはあります」と語っている。
また、資材調達の要諦について、「リース業者は建設資材には投資しませんし、サポート製品を注文すれば、今や1カ月待ちは当たり前です。こうした資材をいち早く入手することで、材料の価格を抑えつつ、仕事をスムーズに進めることが可能になります」と、持論を述べた。実際、2013年の秋口から急騰している国産木材についても、早目の手当てによって値上がりの影響を受けずに済んだという。
時折同社を訪ねると、必ず池之上代表が情報を集めている姿に出くわす。情報収集にかける熱意は並々ならぬものがある。築き上げたネットワークを通じて得られる情報と、これを加工する創造力(知恵)、そして現実化させる機動力こそが、同社の成長の源であるように思われる。
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<COMPANY INFORMATION>
代 表:池之上 和夫
所在地:福岡県太宰府市大佐野807-47
設 立:1980年12月
資本金:2,000万円
TEL:092-922-8611
URL:http://www.isa-home.jp
<PROFILE>
池之上 和夫(いけのうえ・かずお)
鹿児島県生まれ。学卒後に来福して大工としての経験を積み、21歳で池之上組を創業。同社は、1980年12月に(有)伊佐工務店として法人化され、90年9月の株式会社化を経て現在に至る。2012年には、福岡地区型枠大工工事業福友会の会長に就任。
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