認知症の徘徊と行方不明者への対応は、地域包括支援センターも主力として加わる。地域包括支援センターは、2006年に介護保険の実質的現場の窓口としてスタートした。要請を受けると、職員(主にケースワーカー、看護士)が自宅に出かけて対応する。気軽に利用でき、個人情報が守られるという利点がある。
一方で、地域包括支援センターの仕事量が急増して、認知症者の徘徊抑止のためにかぎられた職員を割くことには限界が出てきた。
東京都国立市では、昨年4月に「認知症対応チーム」を立ち上げた。そこには、保健師や社会福祉士などの専門職が集う。
認知症の徘徊には、それを予測させるサインがあるという。そのサインを見逃さないことが重要だ。そのために、75歳以上の独り暮らしの高齢認知症者を対象に、本人や周囲から聞き取り調査を実施。認知症本人の1日の過ごし方や暮らしぶりなどの情報を収集し、その情報を認知症専門の医師と共有した。徘徊時に出すサインを見つけ出して、行方不明などのトラブルに対応すべく模索しているという。認知症に詳しい医師が「体調が少し崩れ、それによって徘徊などの行動障害に結びつく」と指摘するのの、国立市の地域ケア推進担当者が言うように、「決め手はない。解決していくための施策を作るしかない」と、現実は手探り状態だ。
厚労省は、認知症になっても自宅などの住み慣れた地域で暮らせるように、政策を進めているという。その代表的なものが、「オレンジプラン」という『認知症対策(認知症施策検討プロジェクトチームが、2014年6月18日に取りまとめた「今後の認知症施策の方向性についてなど」)5カ年計画』である。国立市の取り組みもその1つ。
ただ、指摘したように、徘徊のサインを見つけても、医療や介護のサービスという受け皿が整っていなければ具体的に対応できない。現実的には「絵に描いた餅」に近いと思う。こうしたレポートの最後は、「認知症と疑われる徘徊者に声をかける勇気を持とう」「自身の問題として把握する」「地域で見守ることが大切」と結ぶことが多い。
こうした「正論」や「建て前」は聞き飽きた。とくに「地域で高齢者や生活弱者を見守る」という結び方には腹が立つ。「地域の範囲は?」「地域って誰が?」「見守る方法は?」「関係機関との関係は? 機能は?」......。
「地域で見守る」とは、私が昨年暮に立ち上げた「サロン幸福亭」(高齢者の居場所)を有効活用することだと思う。私が見守ることができる範囲は、サロン幸福亭に来亭できる人たちの住む地域で、私を中心とした来亭者、賛同者が見守る。見守る方法は、すでに用意済み。行政機関の関心度の低さだけが問題なのである。
「サロン幸福亭」の知名度が低いのか、行政や関係部署からの視察者も、連絡も提案もない。とくに同地域内にある「まちづくりセンター」のトップは、存在を知っているにもかかわらず、見学にさえ来ない。現場の声を汲み取る能力に欠けていると言えばそれまでだが、情けない話である。
だから、自らの命と安全は、自ら確保することが必要となるのだ。
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。
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