<リーディングカンパニーへの復活へ>
総合環境衛生業のリーディングカンパニー、(株)サニックス(本社:福岡市博多区、宗政伸一代表)の売上高が1,000億円の目前まできた。同社が発表した速報値の2014年3月期の売上高は、843億円(連結)。一時は経営危機も囁かれたが、09年、同社が乾坤一擲、命運を賭けた太陽光発電システムの事業への進出が功を奏した。
06年7月に経済産業省から受けた業務停止の措置や、07年2月の北海道の苫小牧工場の火災発生など不祥事やアクシデントが重なった。それらによってサニックスのブランドが失墜し、業績が年々減少していった。豪腕である宗政氏の経営能力をもってしても同社の存続が厳しいと見られていた。
福岡の地場企業の経営者の面々が、異口同音に同社の業績回復へ賞賛を送る。「そのような経営難に陥った中、太陽光発電事業に大きく舵を切った。この判断が同社を窮地から救った。宗政代表は、底知れぬ力を持っているのだと驚いた。本当に見事な事業転換を実践した」。運だけではない、長年同社が培った心血を注いだ営業力の賜物である。
<太陽光発電との縁>
同社の太陽光発電システムにおける事業展開は、業績低迷の苦し紛れに突然生まれたものではなかった。1984年頃からすでに、太陽光発電システムを採用していた。基幹事業であったHS事業(ホームサニテーション=一般家庭向けの住環境改善)の床下及び天井裏の換気システムのファン可動のエネルギー源にしていたのである。
これらの換気システムは、25年間で約32万件の実績を有している。その実力を有効に生かし、09年から個人顧客の住宅用太陽光発電システムの営業を開始。それに並行し、翌10年には卸売営業をスタートさせた。
今振り返っても驚異なのは、その価格だった。販売価格帯は、国内メーカーの価格の40~50%。低価格を実現したのは、今では様々な工業製品で地位を獲得している韓国メーカーの採用だった。同社は、韓国財閥のLGグループのメーカーを採用した。
その後、集合住宅用へ、12年には産業用へと相次いで進出。住宅用での販売・施工実績15,000件を有したことと、10kW以上の太陽光発電システムに対する固定価格買取制度のスタートが、同社の太陽光発電事業の強化を後押しした。
<発見から50年 日本での先駆者>
1954年にアメリカの研究者、ピアソンが、半導体の接合部分に光を当てると電流が生じる現象(pn接合)を発見し、太陽光発電発明の祖となった。それから50年、日本でも太陽光発電ブームが押し寄せてきた。宗政代表が、今の太陽光発電システム市場の形成を予想していたかどうかは不詳であるが、同社は約30年前から、太陽光発電システムに着目し、事業の中核のなかに組み込んでいたのである。当時も、家電大手のシャープ、三洋電機(現パナソニック)、三菱電機、ファインセラミックス・半導体メーカーの京セラなどの大手企業は、太陽光発電事業に取り組んでいたが、中小企業、福岡の地場企業が太陽光に着目していたのは、先見の明だったといえる。
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