今年もまた5月3日の憲法記念日がやってくる。毎年、改憲派、護憲派がそれぞれ集会を開いているが、護憲派の「九条があれば平和を維持できる」という意見には説得力がないばかりか、幼稚すぎて相手にならない。
<安倍政権の再挑戦>
昨年12月4日、日本政府の外交・安全保障政策の司令塔となる「国家安全保障会議(日本版NSC)」が発足し、首相、官房長官、外相、防衛相からなる「四大臣会合」が始動した。同月6日には、特定秘密保護法が成立。同法の成立と日本版NSCの発足は、日本が普通の国になるための動きと言える。特定秘密保護法は、諸外国の情報機関と情報の共有をするための機密保全の強化を目指すものであり、日本版NSCの運用には絶対に欠かせないものだ。
さらに5月の連休明けには、安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が集団的自衛権行使に向けた報告書を提出する予定となっている。平成18(2006)年秋、第1次安倍内閣の最初の所信表明演説で、歴代首相として初めて、安倍首相は集団的自衛権行使に向けた憲法解釈の変更を表明した。だが、当時の内閣法制局は集団的自衛権の行使見直しに強硬に反対した。その後、病気のために安倍首相が退陣すると、集団的自衛権の問題はほとんど議論されなくなったが、再び、安倍首相は集団的自衛権行使に向けた憲法解釈の変更に挑戦しようとしている。
<いまだ連合国に占領されている日本>
国家は平時と有事の双方に対処しなければ存続はできない。しかし、国家の基本法である日本国憲法には平時だけを前提とした条文しかなく、有事の対処を書いた条文が存在しない。日本国憲法をひと言で表現すれば、「国防の規定」がない無防備憲法なのである。ほとんどの国の憲法には国防が最重要事項として謳われている。だからこそ憲法には国家としての基本姿勢が謳われ、とくに憲法前文の表現は重要な意味を持っているのである。
日本国憲法前文で謳われている「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こらないようにすることを決意し、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した」とは、第2次世界大戦の戦勝国に対して日本が戦争を起こしたことへの詫び状と同じであり、「平和を愛する諸国民」とは、明らかに戦勝国の国民のことなのである。
「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しよう」「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」などの文言についても、日本が平和を破壊し、専制を行ない、隷従を強い、他国を無視して他国民に圧迫と偏狭を行なったので、「二度と戦争を起こしません」と懺悔している表現となっている。
これらは「戦勝国の国民は平和を愛していたのに、日本が戦争を仕掛けたのだ」という、いわゆる東京裁判史観そのものだ。
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<プロフィール>
濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。現在は、日本防災士機構認証研修機関の(株)防災士研修センター常務取締役。著書に、『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)、「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)。11月25日には、夕刊フジに連載中の企画をまとめた『探訪 日本の名城 上-戦国武将と出会う旅』(青林堂)を発売。公式HPはコチラ。
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