<静脈産業の重要性を前面に>
同社のルーツは、現代表の宗政伸一氏が1975年4月に長崎県佐世保市で始めたシロアリ駆除を中心とした建築物などの防虫・防腐に関する管理および工事業だ。「シロアリ屋」と周りから揶揄されながらも宗政代表自ら率先して営業から施工を行ない、苦難を経て総合環境衛生業のリーディングカンパニーに成長させた。企業使命として「汚いところをきれいにする。不潔なところを清潔にする」を掲げ、実績を積み重ねてきた。敬遠されてきた仕事を、「将来必ず必要とされる」という不退転の意志でまい進し、見事に市場を開拓し確立させたのである。
「本社が福岡市南区向野にあったサニックスの黎明期は、社員一同猛烈に働いておりました。その伝統が脈々と引き継がれ、仕事が厳しいなかでも『先見の明がある宗政社長についていこう』という機運がありました。その先見の明とは、『これからの社会は動脈産業から静脈産業が重要とされる時代となる』というものです。静脈産業とは、産業が排出した不要物、廃棄された製品などを集め、環境に配慮して廃棄やリサイクルをする産業です。環境衛生業を発展させながら、その事業の構築を着々と進めておりました。動脈産業がわが国の経済の中心であった時代から、すでにその対極のビジネスを作っていたのです。だから、説得力がありました」と同社OBは語る。同社は、年々業績が上昇し96年9月に株式を店頭登録(現ジャスダック)した。97年9月に東証・大証2部および福証、99年9月には東証・大証1部に上場し、全国区のブランドになった。
<リサイクル事業の育成>
94年4月、同社は、産業廃棄物処理を目的とした北九州工場を北九州市門司区に新設。産業廃棄物処理事業部を設置し、産業廃棄物の中間処理事業を開始。99年4月に廃プラスチックを加工処理し、燃料化することを目的として、愛知県岡崎市にプラスチック資源開発工場を設置。産業廃棄物のリサイクルを全面的に推進していくことを目的として、産業廃棄物処理事業本部の名称を『環境資源開発事業本部』としてリサイクル分野へ本格的に進出した。
2000年3月に北九州市若松区に有機廃液処理を目的とした有機廃液処理ひびき工場を新設し稼働。01年10月にはプラスチック燃料による発電・売電事業を開始(子会社の㈱サニックスエナジーを設立)。03年10月に北海道苫小牧市に同様の発電所を完成させ、"電力"というエネルギー開発分野への強化も進んだ。この売電事業には、約120億円の投資がなされた。
その大型投資が実を結んだのは12年3月期からであった。01 年3 月期より11 年3 月期までの10期の間の環境資源開発事業は営業赤字を出し続けた。13年3月期の決算時点で約37億円の累積損失を抱えており、その大きな要因の1つが同事業の営業損失である。
同事業における技術力を含めた生産性が発展途上であったこと。また苫小牧発電所が07年2月発生させた火災事故により、同発電所は操業停止。(同年6月に操業再開)07年11月から約2週間、排ガス濃度の公害防止協定値超過を受け操業を停止。発電用ボイラー2基のばい煙から公害防止規定の基準値を超えるダイオキシン類が検出。改善指導、自主的に操業停止するなど、トラブルが続出したことが営業赤字を膨れ上がらせた原因である。
同社の財務体質を弱体化するなかでも同事業から撤退することはなかった。巨額な投資を実施したことは、リサイクル事業を育成するという覚悟であり、それは「静脈産業のリーディングカンパニーとして社会に貢献する」という理念をまっとうするという使命感であった。
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