<情報・アクセスの中心地へ>
1999年10月、(株)アパマンショップホールディングスの前身となる(株)アパマンショップネットワークを東京新宿に設立。「アパマンショップグループは、情報産業なので情報の中心にいなければいけないと考え、必然的に東京に出る決断しました。1人で上京し、創業当時は社長とパート1人。日本一の賃貸斡旋店舗数を目標にしていましたが、同業他社と比べて優位性は何もなかったため、日本一を実現するためには、長時間集中して働く以外に方法はありませんでした」と同社代表取締役社長の大村浩次氏は振り返る。
東京は、情報の中心であるとともに、全国各地へのアクセスの中心でもある。今や、国内だけでなく、海外にも多くの拠点を持つアパマンショップグループの創業者として、全国を駆け回る大村社長。いち早く業界のIT化を推進し、仕事への飽くなき情熱を貫き、グループを業界最大手に育て上げた。
「福岡から東京に引っ越しただけ」と謙遜するものの、13万社もある不動産業界のなかで、リーディングカンパニーへと成長させるには、さまざまな苦労にも直面した。そのたびに、福岡時代に培った経験、実績を糧に、粘り強く仕事に向き合ってきた。
<人脈のつくり方、「良い意味での倍返し」>
創業当時、人脈のない東京で、どのように人脈をつくっていったのか。「1人ひとりのお客さまを大切にすることを心がけてきました。会う方、会う方を大事にしていく。出会った方の人脈をお借りしたことも多いですよ」と大村社長は語る。
人脈をつくるということは、逆に、相手にも返すということでもある。「少なくとも、倍ぐらいは相手に与えることのできる情報と、仕組み、バックボーンを持っておかなければならないと思っています。また、本当に困っている人がいたら、仕事を休んででも助けるという心構えは大切だと思います」と大村社長。
良い意味での『倍返し』が人脈づくりに役立ち、このつながりが同社の成長を支えた。困っている人のために、長期間仕事を休んで尽くしたこともある。仕事の相手や取引先と、ビジネスライクではなく、人間味のある仕事を継続することで、人脈を地道に築いてきた。
<強敵が多い東京でいかに勝つか>
東京オリンピックの開催が決定し、東京への投資の集中が予測され、地方に拠点を置く企業も東京を注視せざるを得ない。あらゆる産業が集積しているメガリージョンの首都圏には、情報があり、人材が豊富に埋もれているというメリットがある。しかしその一方で、デメリットもある。
大村社長は、「東京は、ビジネスライクであらゆるコストが高い。ライバルが多く、そのライバルが強いというところはデメリット。情報産業は進出するメリットがありますが、製造業やコールセンターなど産業によっては、コストがかかり、デメリットの方が多いところもあります」と分析する。
地方の企業が東京に進出して成功を勝ち取ることは簡単なことではないが、ライバルが強い東京で勝つには、どのような心がけが必要か。それについては、「経営者が作成する、ビジョン・中期計画・単年計画などが重要でした」と大村社長は回答した。
「ライバル対策としては、経営者が長く集中して働くことが大事です。ただ、それだけでは周囲が付いてきてくれません。どうすれば業界でNo.1になれるのか。明確なビジョン、ビジネスモデルを持っておかなければなりません。そのビジョンを達成するための、具体的な方法を描かなければいけません。それを、紙に書いて、回りにわたす」と大村社長。ビジョン達成への道筋を描き、それを周囲と共有し、組織として成長していく。
また、「九州男児は働くことを惜しまないし、精神面も強い。ただ、東京で成功するには、経験や経営能力も必要で、自身の成長を確認しながら、時の利(時期)を見定めることも重要でした」とも語った。
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<COMPANY INFORMATION>
代 表:大村 浩次
所在地:東京都中央区京橋1-1-5
設 立:1999年10月
資本金:72億1,793万8,168円
TEL:03-3231-8020
URL:http://www.apamanshop-hd.co.jp/
<PRESIDENT PROFILE>
大村 浩次(おおむら・こうじ)
1965年生まれ、福岡県出身。99年10月、(株)アパマンショップネットワークを設立。2001年6月、大阪証券取引所(ナスダック・ジャパン)に上場。4年後の05年3月、名門「小倉興産(株)」のM&Aに成功した。06年7月、(株)アパマンショップホールディングスに商号変更。
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