<技術で東南アジアの発展に貢献>
本業のプラント・エンジニアリングだけではなく、人材育成の面からも「技術立国・日本」の継承に努めるエヌビーエス(株)は、1985年6月に設立したニュービジネスサービス(株)が前身。92年に石橋一海氏が代表取締役社長に就任し、96年10月、現社名に変更した。約30年にわたって、各種の発電プラントへ電気・計装設備分野の技術者を派遣。同社が派遣する技術士の高い技術力が評価され、2011年4月にはシンガポールに現地法人を設立し、活躍の場を世界に広げている。
同年3月11日、東日本大震災の発生にともなう福島第一原発事故で、日本のエネルギー政策への問題意識が高まった。脱原発を求める声が高まるなか、原子力発電は新規建設の見通しが立たなくなった。当時、「想定外」と連呼された未曾有の災害である。しかし、同社は以前から環境問題への意識の高まりを受けて、風力発電や燃料電池へのシフトチェンジを図っていた。すぐに立て直し、海外へと活路を見出す。13年9月期(第24期)の売上高は6億7,914万円。前期と変わりなく、実績を積み重ねている。
13年11月時点で、同社の従業員数は75名。国内の事業を営業所ごとに見ると、福岡本社、横浜営業所、神戸営業所でプラント事業を展開。各種エンジニアの派遣、電気・計装の設計や工事の請負、資材調達などを行なっている。このほか、長崎営業所では国内外のプラント事業における設計と風力発電事業。三菱重工業高砂製作所内にある高砂営業所では国内外にあるプラントの各種発電設備における電気・計装分野の建設工事からメンテナンスまでを中心に活動。また、同所では、海外納入済みの発電設備(主にガスタービン)を日本に居ながら24時間監視する遠隔監視業務にも携わっている。
研究開発にも取り組んでいる。その1つが小型から中型の風力発電設備。同社では、クリーンエネルギーの主役と位置付け、風力発電技術の確立を目指している。一方で、民生機器から産業機器までの遠隔監視技術の確立を目指し、研究開発を進めていく方針だ。石橋社長の発案を基にした技術系特許を7件出願中である。
こうした電気技術を中心に据えた幅広い事業展開の原動力となっているのが、電気技術者・石橋社長の志である。「21世紀は消費経済に別れを告げ、再生可能な経済のシステムづくりと、IT(情報技術)による産業構造の変革の時代に突入しました。我が社はエンジニアリング技術をベースに、21世紀の新しい社会的ニーズに貢献する企業、そして、自然との共生について『問題意識を常に持つ』企業でありたい」(石橋社長)。行動力があり、面倒見が良い石橋社長は、自社のみならず、福岡県中小企業家同友会でもリーダーシップを発揮し、社会に貢献する企業のあり方を教えている。
シンガポールだけではなく、同社はミャンマーでもビジネスチャンスをうかがっている。「インフラが整えば大手が参入する。中小企業は停電すれば皆で発電機を回して仕事をするぐらいの気概が必要」という石橋社長。何度もミャンマーを訪れるなかで体感した同国の魅力の1つに、子どもからお年寄りまで変わらない勤勉で正直な国民性を挙げる。同社のシンガポール現地法人で働く数名のミャンマー人も、優秀な人材として同社のビジネス展開を支えている。日本が高度経済成長のなかで失った『清貧』。石橋社長はミャンマーとの邂逅のなかで、「技術立国・日本」の原点を想起し、職人として技術の継承に尽力する決意を新たにした。
| (後) ≫
<COMPANY INFORMATION>
代 表:石橋 一海
所在地:福岡市博多区奈良屋町5-10
設 立:1985年6月
資本金:4,725万円
TEL:092-263-8833
URL:http://www.nbskk.co.jp/
<PRESIDENT PROFILE>
石橋 一海(いしばし・かずみ)
1942年福岡県生まれ。県立八女工業高校普通電気科卒業後、「小野田セメント」に入社。25歳で退社し「角栄計装」を設立。72年退社し、八女で「石橋電業社」を設立。88年、「石橋電業社」倒産後、事業を引き継いだ「エヌビーエス(株)」に入社。社員勤務を経て、92年に代表取締役社長に就任。
※記事へのご意見はこちら