<経済とは摩可不思議なもの>
経済とは生産・売買・消費などのあらゆる活動、財政状態を意味するが、あらゆる組織がグローバル化によって有機的に絡み合っている現代社会においては、1本や2本の線でその実体を捕らえるのは容易ではない。
経済は生物であるとよく言われる。生物にバイオリズムがあるように、経済には好・不況が付き物である。しかし、生物の体を動かしているのはその生物の脳であるように、経済を動かしているのは人間の意志ではないのか。
日本は終戦後の灰のなかから、不死鳥の如く奇跡の経済発展を遂げ、欧米に強烈なライバルとして驚異の念を与え、日本株式会社論を生み出すに至った。だが、順風満帆だった日本経済もバブル崩壊後、長い不況に突入。ファンダメンタルズは強いのに、生殺しのような閉塞感がなぜ続くのか。
かつてライジングサンと呼ばれた不沈空母・日本丸は、潜水艦になろうというのか。その間、さまざまな政権交代があり、国会の笑うに笑えぬ悲喜劇、不毛な議論、スキャンダル批判の井戸端会議に、国民は怒りを超えて絶望のため息を洩らしてきた。
国民の本音は何か―。無論、景気回復である。1989年、ソニーがコロンビア映画を、三菱地所がロックフェラーセンターを買収したときのような、何とも言えぬあの浮かれた気分をもう一度味わいたいわけではない。ただ、未来に向かって成長しているという素直な実感が欲しいのだ。
しかし、よくよく考えてみると、世界的にはバブル崩壊後も日本は超絶的な成熟経済大国であり続けたのである。たしかに、デフレ経済のなかで消費者は財布の紐を締めた。将来に備えて貯蓄には手をつけまいという心理になった。
消費が伸びないのは、経済指標で言えばマイナス要因だが、逆に考えれば、無傷な部分、潜在的な力が温存されているという見方もできる。そして、今アベノミクスは東京オリンピックという追い風により、花開かんとしている。この上げ潮に乗らない手はない。加速の原理と相乗の理である。
<会社の成功と発展は経営者の器量にかかる>
加速の原理の第一は、素早い決断である。決心して断行するためには、相応の実力と準備が前提条件である。自社の主力商品のoriginality(独創性)・core(核心部)・revolution(革命性)は他社を圧倒できるか。
無論、やってみなければ結果は出ない。つまりは、自信である。商品は世の中に送り出し、喜んで受け入れられるために開発される。そのまま、倉庫や頭のなかに眠らせておいては間をおかず錆びついてしまう。
いかに売り込むか、商品に魂を吹き込み、いかに伝えマーケットに送り込むかは、営業マンの力量だ。求められる以上の仕事のできる精鋭部隊を編成できる企業は、時を逃さず、一気に加速できる。
では、いかにすれば精鋭部隊を編成できるのか。かつて孫子は道を説いた。孫子の言う道は真理や人輪ではなく、トップリーダーの理念であり、同時に部下とのコミュニケーション、意志の一致を意味した。経営理念がいかに優れていても、社員に深く浸透していなければ、組織の和、一体感は生まれない。
戦いの現場では一枚岩にならねば勝てない。したがって、戦略会議では本音の対話を徹底させ、一点の曇りもなく戦える心構えを練り上げなければならない。したがって、経営者の存在感そのものが問われるのは言うまでもない。
社員の自尊心を心地良く刺激し、限りない熱意を引き出す才知はあるのか。いかなる状況でも冷静沈着で品性を保ち、威風堂々として、目標に立ち向かい、会社の成功と発展を確信させるようなオーラを全身から解き放っているか。
これからの7年間の千載一遇のチャンスを活かせるか否かは、すべて経営者自身の器量にかかっていると言っても過言ではないだろう。
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<プロフィール>
中島 淳一(なかしま・じゅんいち)
1952年、佐賀県唐津市出身。75~76年、米国ベイラー大学留学中に英詩を書き、絵を描き始める。ホアン・ミロ国際コンクール、ル・サロン展などに入選。日仏現代美術展クリティック賞(82年)。ビブリオティック・デ・ザール賞(83年)。スペイン美術賞展優秀賞(83年)。パリ・マレ芸術文化褒賞(97年)。カンヌ国際栄誉グランプリ銀賞(2010年)。国際芸術大賞(イタリア・ベネチア)展国際金賞(10、11年)、国際特別賞(12年)、国際美術大賞展・日仏賞(13年)など受賞多数。
詩集「愁夢」、「ガラスの海」、英詩集「ALPHA and OMEGA」、小説「木曜日の静かな接吻」「卑弥呼」、エッセイ集「夢は本当の自分に出会う日の未来の記憶である」がある。86年より脚本・演出・主演の一人演劇を上演。企業をはじめ中・高校、大学での各種講演でも活躍している。福岡市在住。
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