<商業ベースのフリーペーパーの祖>
弊社では(株)ガリヤの長澤由起子社長のインタビューを過去に何度か行なったことがある。その際には「死線の先行く創業者」として、長澤社長の奮闘ぶりを報じてきた。そもそも(株)ガリヤの長澤社長がどのような人物なのかを改めて紹介しておく。
今やちまたに溢れるフリーペーパーの中でも、"商業ベースのフリーペーパー"を最初に考案したのが長澤社長と業界の中では言われている。
商業ベースのフリーペーパーとは、記事をコマ売りする広告、いわゆる"記事広告"と呼ばれる手法である。従来、書店やコンビニなどで取り扱われている雑誌は基本1ページ単位の広告スポンサー(クライアント)と販売収入によって成り立っている。フリーペーパーも雑誌と同様、1ページ単位のスポンサーによって支えられていた。取材記事と見せかけて実際は広告という手法である。
そもそも出版物は発刊したとしても、簡単に書店に並べてもらえる訳ではない。出版業界では、出版社と書店との間に取次会社を通さないと商流に乗れないため、書店売りの本を世に出すのはハードルが高い。そこで出版社でなくても、副業や独立した素人でもフリーペーパーを出せるような環境を作りだしたのも、長澤社長の功績によるものだろう。
長澤氏は大学中退後、1976年4月に広告代理店の(株)西広にアルバイトとして入社。ここで広告代理店の手法を学んだことが後に生きることになる。当時、同社が発刊する「エルフ」のスタッフとして経験を積み、89年12月に退社後、90年2月に同社を設立。設立当時は苦難の中で発行することになるが、初年度から黒字を計上し、その後はフリーペーパーブームの火付け役として力をつけ、2000年8月には自社ビルを購入。同年7月期の決算では過去最高となる売上高6億1,034万円、最終利益2,076万円を計上するなど順風満帆な一時代を築いた。
さらに長澤社長は、ビジネス手法以外でも多彩な才能を発揮。「♪~ま~だまだ逝かない天国社」のCMソングは、長澤作品の傑作のひとつといえる。クリエーターとしても高いスキルを有していた長澤社長だが、直近の決算の2013年7月期は売上高約1億2,000万円で、全盛期の5分の1以下まで落ち込む事態となっていた。人員削減などのリストラを定期的に行っていたものの、これも限界を迎えていた。
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