2010年1月に合併により誕生した糸島市は、福岡市に隣接していながらも豊かな自然に恵まれており、近年は各メディアに頻繁に取り上げられることもあって、一躍脚光を浴びている。これから糸島市は、どのように変貌を遂げていくのか。今年2月に新たに糸島市長に就任した月形祐二氏に、これからの糸島市のまちづくりや市政の方向性などについて話を聞いた。
<雇用の場を創出し定住促進にも注力>
――ただ一方で、糸島市では定住促進にも一所懸命に取り組まれています。
月形祐二氏 これまで述べてきたのが糸島市の"光"の部分だとすれば、その一方で、人口の減少傾向が今のところ続いており、今年3月末で外国人を含めた人口が10万人を切ったという現実があります。糸島市に対して、今までは「訪れて良いところだね」というのは、皆さんに理解していただいていますが、今後は「住んでもすばらしいまちだね」ということを理解していただけるようにしていかなければなりません。たとえば今は、天気が良い日には「ちょっと糸島に出かけてみようか」というような若者たちもたくさんいます。サンセットライブをはじめ、若者が押しかけて来るようなイベントも糸島にはたくさんあります。では、「住もうか」ということになると、住みたいまちではあるけれど、「本当に住んでみようか」ということにまではなりません。ということは、何かが欠けていて、それは私も実感しています。
まず1つには、市内に雇用の場というものが充実していません。糸島で生まれ育った人たちが、大学進学などで関東なり関西なりに行き、自分の生まれ育ったところが本当にすばらしいところだと改めて気づいたとしても、働く場がないことには戻って来られません。となると、大学の近くで職を探してみたり、あるいは隣の福岡市までは戻って来たとしても糸島までは来ない。やはり、「住みたいけれど職がないので」という方々が多いので、そういう意味では雇用の場をどう創出するかが、我々に課せられた使命だと思います。
糸島という地は、地下鉄とJR筑肥線が相互乗り入れをし、高速道路もつながって、今までは何もしなくても人口は増えていました。そのため、企業誘致にはそこまでの力を入れる必要はありませんでした。ですが、これからは地域間競争が厳しくなっていきますから、天神から40分くらいで来られるといった地理的な条件にプラスアルファ雇用の場も確保して、糸島市内で勤めることができるといった環境をつくっていかなければなりません。
もう1点が、先ほどもお話に出たような、九州大学という「知の拠点」を持っていることです。子どもたちの教育について、九州大学の先生方にもご協力いただきながら、たとえば伊都国という歴史についてわかりやすく専門的に小学生とか中学生といった義務教育の子どもたちにも教えていただくなど、本物の教育を行なっていきたいと考えています。最先端の研究についても、レベルの高い先生方がたくさんいらっしゃるわけですから、その方々から直に授業をやっていただくような、糸島独自の「教育の糸島ブランド」をつくり出していく。また、それと合わせて、九州大学はたくさんの留学生も受け入れており、その人たちもこの地域に住んでいただいています。そこで、その人たちと接する場を子どもたちに早い段階から与えることによって、やはりグローバルな人材をつくり出していき、そこが糸島の強みとなって「糸島で教育を受けさせたい」というブランドを確立していくのです。
そして、居住空間の良さとしては皆さん十分にわかっていただいていると思います。ただ福岡市のブランド力が高いですから、人々はそちらに流れてしまう。学力についても、福岡市の方が高いと皆さん思っておられるかもしれませんが、学力テストの平均点で言うと糸島市も遜色ない。こうした部分がまだコマーシャル不足であり、皆さんにもっとしっかりとアピールしていかなければならない部分だと思っています。
▼関連リンク
・糸島市HP
■所信表明
(1)"ブランド糸島"の確立
(2)九州大学の知的・人的資源を生かした学術研究都市の構築
(3)子育て支援と特長ある学校教育の充実
(4)"住みたい、住み続けたい"定住の促進
(5)"元気で長生き"市民の健康づくり
(6)農林水産業、商工業の振興と働く場の創出
(7)自助・共助・公助による災害に強いまちづくり
(8)糸島が誇る自然環境の保全と文化の継承
(9)快適な生活環境の整備
(10)人権尊重のまちづくり及び男女共同参画社会の推進
(11)行政改革による足腰の強い財政運営
<プロフィール>
月形 祐二(つきがた・ゆうじ)
1958年生まれ。83年3月に西南学院大学法学部卒業後、一般企業への就職を経て、86年から衆議院議員・太田誠一氏の秘書を務める。その後、2003年に福岡県議会議員に初当選。3期を経た後、14年2月に糸島市長に就任した。
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