三井鉱山グループの1社として展開していたバブル景気の最中、一時は東京進出を果たしていた(株)サンコービルド。その後、東京市場からは遠ざかったが、福岡の地で地場ゼネコンとして確固たる地位を築き上げた。そして、2012年には支店を再開設し東京市場へ再び進出。堅実経営を貫いてきた同社が、進出の地として東京を選んだワケとは――。
<グループ戦略としてバブル期に東京進出>
(株)サンコービルドが初めて東京へ進出したのは、1988年3月のこと。もともと、三井鉱山堅抗トンネル掘鑿(株)として三井鉱山(株)(現・日本コークス工業(株))の子会社として設立されたこともあり、三井鉱山グループ内で、建設部門的な役割を担っていた。そうしたなか、同じ三井グループでツーバイフォー住宅の三井ホーム(株)が特建事業部を設立し、関東・関西地区の都市圏でのビル建設受注が急激に高まっていた。
当時、三井グループ内には三井建設(株)(現・三井住友建設(株))もいたが、同じく全国各地で大型物件の受注を獲得していたため、施工会社として同社に白羽の矢が立った。当時、同社の歴代代表が三井鉱山グループからの人材であったこともあり、グループの方針に従って東京に営業拠点を設けることとした。
しかし、設立こそ東京とはいえ福岡の地で事業基盤を形成していた同社にとって、東京はまさに未知のエリア。当然、協力会社の発掘などといった課題は山積みであり、数カ月におよぶ調査が必要となった。また、RCが中心であった福岡と違い、進出当初からSRCと狭隘地での物件が多数あり、短期間での新たな技術習得が求められた。
三井グループから発注される工事は、体制が整わないなかでも入ってくる状態であり、地場のサブコン業者に対して協力を得るため、1社1社開拓していく日々が続いた。ここで転機が訪れる。すでに関東地区への進出を果たしていた大分地区トップゼネコンであった(株)さとうベネックの協力を得られたことだ。同じ九州出身のゼネコンという共通点もあり、下請業者の紹介など多くの支援を受けたことで、次第に東京地区での事業基盤は固まっていった。
最盛期、120億円もの売上高を計上していた同社のうち、30億円ほどは東京地区によるもの。柱となるほどの事業基盤を有していた東京地区であったが、バブル経済の終焉からしばらくして東京から撤退。さらに、2004年には三井鉱山グループから完全に独立。現社名へと変更し、スリム化した事業形態のもと、地場ゼネコンとして新たなスタートを切った。
その後は、介護・福祉事業を強みに持つサンコーケアライフを筆頭に、医療介護建築に強みを持たせながら、福岡・九州を中心に堅実な経営を続けてきた。そうしたなかで、一昨年迎えた東京への再進出。昨今、五輪開催決定などで盛り上がりを見せる東京だが、この進出には別の理由があった。
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<COMPANY INFORMATION>
(株)サンコービルド
代 表:園村 剛二
所在地:福岡市博多区博多駅前1-31-17
設 立:1972年8月
TEL:092-414-6610
URL:http://www.sanko-bld.co.jp/
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