<福岡市を代表する土木工事業者に成長>
(株)海山組は創業者の海山次列氏が1945年9月、土木工事を目的に創業したのが始まり。70年4月に現会長である海山礼童氏が事業継承した。官庁関係の公共工事を主に手がけつつ、民間受注も増加したことで業容を拡大。満を持して84年1月に法人化された。86年4月には現在地である東区塩浜に本社を移転するなど、事業も順調に推移した。その後2010年2月、3代目社長となる海山次貴氏が代表取締役社長に就任。主要役員と株主は海山一族が名を連ねる家族経営だが、今後、役員社員ともに若返りを図るとしている。関係会社としては、老健施設運営を手がける(株)UFイニシアがある。
過去、アイランドシティ関連の需要増や大手企業からの受注増加で業績を確立。10億円前後の売上高から、03年8月期には16億円を超える売上高を計上し、一気に上伸した。翌04年8月期にはピークとなる20億円を超える売上高を確保(05年から6月期に変更)。財務内容も無借金経営を行なうなど、福岡都市圏では高い知名度を誇る土木業者として名を馳せた。官庁関係の公共工事の抑制の影響で、事業規模こそ落ち込んだが、民受にも営業先を求め、高い営業能力と施工能力と相まって大手企業との強い信頼関係で結ばれていた。現在においても、幅広い土木工事業を主体とした事業を展開。官庁、民間元請、下請けの受注比率はほぼ均等に受注している。なお、好調な市場を反映して、今後は公共工事の受注比率は増加すると思われるが、陣容の制限もあり、売上高は10~12億円の事業規模で推移するとしている。
業容拡大で勢いに乗る時期もある一方で、公共工事抑制の影響で業界全体が厳しい市況に晒らされた時期もあった。しかし、本当の危機に晒されることになったのはこの後である。
<会社存亡の危機に直面、今までの信頼を基に立ち直る>
09年12月、福岡市に本社を置く土木工事業者7社に対して、暴力団と関与したとのことで、国や福岡都市圏の地方自治体などは一斉に長期の指名停止を行なった。そのなかに同社の名前が挙がった。福岡県からは6カ月を経過し、かつ県発注工事の契約の相手方として適当に認められる状態になるまでの指名停止という処分。福岡市からは1年間の指名停止措置を受けたのだ。同社は土木工事を主力に手がけているが、その期間は、官庁からの公共工事への入札の参加はもちろん、下請け工事にも参加できない状況になったのだ。この責任を負って海山礼童氏は社長を退いた。
そして、急遽3代目となる海山次貴氏が代表に就任するのだが、「まさに会社はどん底状態」であったという。会社が1年間も受注先を失い、さらに下請けにも入れない状況のなか、頼れるのは民間受注のみ。その状況下のなか、落ち込んだものの、前向きだったのが同社の社員たちだったという。
「これから先どうなるのだろうとの思いが先にありました。社員も愛想を尽かしていなくなるのかな、と。しかし、社員たちは誰一人会社を辞めたりしませんでした。逆に、一致団結して仕事にあたっていったのです」と海山次貴氏。
そういった社員の奮起もあり、会社全員で「なんでも仕事はやる」といった意識を持つようになったという。一番頼もしくもあり、ありがたいのが民間の受注先である。先代が築いた人脈のなかから今回の同社の危機を知り、優先的に仕事を廻してくれたというのだ。真実はどうあれ長期の指名停止を受けたのは事実。その窮地を知って手を差し伸べてくれたことは、先代が今までつくってきてくれた対外的な人脈の信頼や社員が持つ高い施工技術が、会社を救ってくれたと言えよう。
| (後) ≫
<COMPANY INFORMATION>
代 表:海山 次貴
所在地:福岡市東区塩浜1-10-50
設 立:1984年1月
資本金:3,000万円
TEL:092-607-0022
URL:http://www.umiyamagumi.com/
<PROFILE>
海山 次貴(うみやま・つぐたか)
1989年4月、(株)海山組に入社。90年4月、光工業に入社。99年5月、同社に再入社。2010年2月には同社代表取締役社長に就任した。
※記事へのご意見はこちら