そもそもみずほFGが委員会設置会社に移行するきっかけとなったのは、傘下のみずほ銀行の「暴力団などの反社会的勢力に対する融資だった。不祥事が明らかになるまでの経緯について振り返る。
5.不祥事が表面化するまでの経緯
・2010年
旧みずほ銀行はこの頃、オリエントコーポレーションを窓口として取り組んだ提携ローンが反社会的勢力への問題融資(230件以上、総額約2億円)であることを把握。
・2012年12月
金融庁検査で問題融資が明らかになり、改善の指摘を受ける。
・13年7月1日
旧みずほ銀行と旧みずほコーポレート銀行が合併し、新行名はみずほ銀行を継承。
・13年9月27日
合併後も問題融資に対する抜本的な対応策を講じなかったため、しびれを切らした金融庁は業務改善命令を発令。この問題がマスコミに大きく取り上げられ、社会問題化することになった。
・13年10月28日
金融庁に業務改善計画書を提出。佐藤頭取はOBを含む54人の大量処分と自らの報酬を半年間ゼロとすることや塚本会長ら役員3人の辞任を発表。
・13年12月26日
金融庁は経営トップが問題融資を把握していた事実を報告していなかったことが判明したため、態度を硬化させ一部業務停止や改善命令などの追加処分を発表。
・14年1月17日
再度業務改善計画を提出。この不祥事を教訓に取締役会議長を社外取締役に委ねるなど外部のチェック機能を高めるため、6月に委員会設置会社に移行する。自身は続投し全力を尽くす」と表明。
・14年1月23日
続投が世間の批判を招いたため再び記者会見し、「4月1日付で兼務するみずほ銀行頭取を辞任し、後任に林信秀副頭取(56歳)が昇格し、自らは代表権のない取締役に退く。みずほFG社長として6月に委員会設置会社に移行するために、不退転の決意で取り組む。そのためグループの役員の人事体制と社外取締役の選任は3月末までに終える」と明言。
・14年3月14日
4月1日付で幹部人事の異動は発表したものの、肝心の委員会設置会社へ移行する社外取締役の人選は先送りとなり、佐藤社長のリーダーシップを問われる事態となっていた。
・14年4月22日
やっと閣僚経験のある大田弘子氏を取締役会議議長とする社外取締役3名と、委員会設置会社の委員長を含む構成メンバーを発表。委員会設置会社への移行体制が整うことになった。
以上が問題融資を把握していた2010年からほぼ4年間にわたる時系列の推移である。昨年9月に不祥事が表面化するまで放置していたみずほFGの経営責任は重いが、その間経営陣を始めとして、名だたるメンバーが監査役として就任しているにも拘わらず、チェック機能を果たさなかったことに筆者だけではなく、多くの人たちが疑問を感じたのではないだろうか。
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