<大手とネットメディアの台頭で苦戦>
今で言うステルスマーケティング(消費者に宣伝と気づかれないように宣伝をすること)をフリーペーパーに応用し、記事を広告として販売するという手法は当時、斬新であり、瞬く間に日本全国に広がっていった。ステマは広告代理店が費用対効果を出す手法として昔から使われているが、広告代理店出身の長澤社長は、その知識に長けていた。出版社および新聞社の関係者には、お金をもらって記事を書くことに抵抗を持つ者もいる。もっともその後、出版社および新聞社までもがこぞってフリーペーパーを出してきた。
2000年の初めごろから異業種を中心にフリーペーパーを発刊する企業が増えてくる。05年頃は福岡県におけるフリーペーパーの媒体数が100を超え、日本一の激戦区となった。当時、福岡市内の飲食店には各フリーペーパーの営業マンが出入りを繰り返すほど競争が激化。同業他社が次々に世に出ては消えていったが、それでも業界のパイオニアであった(株)ガリヤは一定の売上水準は確保する。だが、全盛期であった2000年7月期からすれば、2005年7月期は約40%減の売上高3億6,763万円になるなど苦戦を強いられていた感は否めない。
ちょうどその頃、すでにリクルートのホットペッパーが圧倒的な存在感を示しており、豊富な資金力と組織力を武器に他社への脅威となっていた。そのほか、ネット媒体が台頭してきたのもこの頃で、「ぐるなび」、「食べログ」などの台頭も同社を苦しめた。出始めのころは客観的な記事と信じ込んでいた読者も、広告記事であることに気付き、しだいに読まなくなるという空気が蔓延してきた。
定価数十万円で取れていた広告が半額となるなど、定価があってないものとなった。「お客さん、ここだけの話ですが」と切り出し、特別な値引きを行なったはずなのに、同業他社にその金額が漏れる。「正規の価格で出稿していたが、友達のお店は半額で付き合ってるやないか!」。横のつながりの強い飲食業界では特にこの手の話が広まった。ダンピングを行なったことで、それまで正規の価格で出稿しているクライアントから値引きを迫られる。そして、それが積み重なると、印刷代が払えなくなって出版ができなくなる。目先の売上欲しさの値引きが会社の命取りとなる。費用対効果はもちろんのことだが、広告の出稿先に対してフェアな環境を作れないと事業存続は難しい。
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