ゴールデンウィーク最終日の6日、Uターンラッシュがピークのなかにあって、群馬県の富岡製糸場は多くの観光客でにぎわっていた。
駐車場の整理員は「今日は少ない方です」と話していた。それもそのはず、5月4日は過去最高となる8,142人が訪れたという。最終日になって少し勢いが衰えたものの、それでも活況だった。
東京都内から2時間近くかかり、決して利便性が高くない場所に観光客が集中したのは、4月26日ユネスコの諮問機関イコモスから世界文化遺産への登録が勧告されたからだ。かくいう筆者も「世界遺産に登録されたら、富士山のようにさらに人が増えるだろう」と予測し、早いうちに一目見ておこうと思った1人である。
富岡製糸場は今から142年前の1872(明治5)年、明治政府が日本の近代化を目的に設置した器械製糸場。当時の日本において、生糸は最大の輸出品だったが、需要に乗じて粗製濫造が横行し日本製生糸の信頼が損なわれた。それを防ぐため、政府主導で生糸の品質改善を目指し工場を建設したという歴史がある。
建物は、フランス人のポール・ブリュナが指導者として、フランスの工法に日本の建築技術を応用、木の骨組みに、レンガ造りを組み合わせた和洋折衷で建設された。
6月15日からのカタール・ドーハでの委員会で、登録の審議が行なわれる見通し。実現すれば、世界に誇れる文化がまたひとつ認められることになるが、その後に解決すべき課題もいくつか残っている。
まず、交通アクセスの不便さ。今回は「富岡製糸場と絹産業遺産群」というかたちで、ほかに「田島弥平旧宅」「荒船風穴」「高山社跡」の関連3施設を含めた登録が目指されている。ただ、これらは点在してお互いの距離が遠く、自家用車がなければすべて回れない。
また今年2月の大雪被害で、大正時代に建てられた「乾燥場」という建物が崩落してしまった。復旧がなかなか進まず、早期の建て直しが望まれる。
ほかに現地の解説や標識など、一部に英語表記は見られるものの、周辺のまち全体として外国人観光客に対応しきれていないのでは、という印象もぬぐえない。
現地を訪れると、手放しでは喜べない課題も見えてきたが、日本の近代化を支えた遺構としてぜひ世界に誇れる名所になってほしい。
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